猫ロケット

夜空の星はねこの輝き。アニメ感想とか書きます。

「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ」後編みた

 感想というか、普段からツイッターとかに書きまくってることをまとめただけというか。
 前編の感想はこちら

  • テレビ版を観た人間へのごほうびのような内容でした。劇場でコネクト流れたので感無量です。
    • あの場面でコネクトが流れるのは構成としてはちょっと違和感。だけど実際流れたら嬉しかったのでそういう意味で「ごほうび」的。
    • お話の解釈とかについては、基本的にTVシリーズ最終話を見た時の感想とほぼ同じです。でもブログには同じことを何度書いてもいいと思っているので、何度でも書きます。同じことを書くうちに新しい発見もあるかもしれないし、たとえ何も見つからなくたってまどマギについて書くのはすごく楽しいことなのです。私は何度だって繰り返す!
    • ちなみにフィルムはファストフード店で向き合うさやかと仁美。のロングショットでした。人物が映ってるだけ当たりか。あの店もシナリオ上いろいろ便利に使われたよなー。
  • しかし劇場版はいろいろ盛ってるせいで見滝原がえらい大都市に……狭い範囲で異様に開発が進んでる気がするが大丈夫かこの街。
    • あと個人的な思い込みで山の中の都市というイメージだったのだけど、なんか海っぽいものが描かれたような。あれ海だったんだろうか。もしかして群馬じゃないのか? いやこう、なんというか、まどマギの舞台が群馬だという説が僕のなかでは完全に定着していたのですごく驚いています。
  • 全体的にまどかが主人公であることが整理された印象だった。彼女が最終話での決断に至る過程がテレビシリーズよりも分かりやすくなってる。マミの死を、さやかの痛みを、杏子の祈りを、ほむらの願いを目の当たりにしたまどかが絶望に立ち向かう物語、「魔法少女まどか☆マギカ」。
    • そして彼女が不断の思考を重ねているのだというのも読み取りやすくなってた。
    • 思考、弛まぬ思考。それこそがまどかの武器だ。魔法少女について最も深く思考したのは、魔法少女ではない彼女である。もちろんそれは周囲に四人もの魔法少女がいたおかげではあるけれど。
    • 改めてお話を振り返ると、まどかが魔法少女について考え、その考えが否定されるというサイクルの繰り返しでもある。まどかは魔法少女の仕組みそのものを無くすことも考えていたかもしれないんだけど、キュゥべえが魔法少女史を語り聞かせることでそれも不可能だと知らされてしまったりだとか。
    • ほむらの突然の告白を戸惑いながらも受け入れるシーンも、思考を重ねた結果ほむらの話を受け入れるだけの下地ができているからなど思えば、また違った感想になるかもしれない。
  • あんこちゃんの新規絵増えてた! 特に大きな変更はオクタヴィア戦で流血があからさまに描かれたことかな。致命的な傷を負っているというのが明確になって、祈りを捧げる姿の悲壮さが強まっている。
    • さやかを救うことは、自分自身を取り戻すための戦いでもあった。二人は同じ挫折を味わっている。他人のために奇跡を願い、その奇跡が自分自身を苦しめてしまったこと。鏡写しのような二人の末路を分けたものは、きっとただの偶然だ。杏子は挫折に向き合う時間があり、さやかにはなかった。ただそれだけの事なんだって気がする。だからちょっと条件が違っていれば杏子はさやかになっていたかもしれないし、さやかは杏子になっていたかもしれない。
    • そうやって同じ間違いから始まっているという自覚があったからこそ、杏子は魔女の孤独を自分のものとして感じることができていた。あるいは魔女と魔法少女が同じものだということを感じ取ることができていた。「ずっと一緒にいてやる」という言葉は、魔法少女なら誰でも言えたというものではないだろう。
    • さやかはもう取り返しのつかない所まで行ってしまった。でも、それでも、取り返しのつかないものを取り返すことができたのなら。
  • 杏子がほむらに語った「たった一つ守りたいもの」。それが指すものは杏子とほむらでそれぞれ異なっているとも言えるし、同じものだったも言える。命を賭すに値する奇跡。それを祈る想い。あの瞬間二人には何か通じ合うをものがあったはずだ。
    • まどかはこの時気を失って倒れていたけれど、にも関わらずまどかの結論はこの点を正確に汲んでる。まどかが肯定したのは希望を抱くことそのものだから。
    • だから杏子は、まどかの決断を素直に応援してるんじゃないかって思うんだよな。「戦う理由を見つけたのなら、あとは行けるところまで行くだけ」というのは彼女らしい激励だ。
  • ほむらが見せるかすかな仕草や演技から、ほむらが杏子を嫌っているわけではなく一定の敬意を抱いているということが読み取れるのが素晴らしいよね。
  • さやかの貫こうした正義というやつは実際のところマミの受け売りだ。マミはマミなりの事情で正義の味方をやっていて、正義の味方になるほかなかったということを、さやかは十分に理解することができなかった。
    • 願いの代償として戦っているさやかとは違い、マミはただ生きるために魔法少女になっている。生きることと魔法少女であることが重なっているマミには理念が必要だった。*1
    • だから魔法少女が魔女になるというのは、マミの生そのものが否定されるような事実だったわけで。「みんな死ぬしかないじゃない」というのは彼女のメンタルが弱いからではなく、むしろ強いがゆえの反動なんじゃないかな。
    • とまれ、本来ならさやかにはさやかなりの魔法少女像を模索する時間が必要だった。もう少しマミさんと一緒に戦う時間があれば、きっといい魔法少女になれたはずだと思いたいよね。
  • マミさんがまどかにノートを返すシーン、劇中で一番好きな場面だ。まどかがかつて挫折した甘ったるい「魔法少女」をもう一度引き受けるということだものな。
    • このふわふわの魔法少女を思い描くきっかけも、諦めたきっかけも共に巴マミだった。
    • まどかが肯定するのは希望を抱くことそのものだった。どんな結末を迎えようとも、奇跡を祈る想いは尊い。その想いを傷つけるものは許せない。だから彼女は何度でも愚直に言い張るのだ。希望を抱くことは間違っていない、と。
    • それを語る相手がマミさんだというのがもう……!
    • 巴マミ鹿目まどかの師であったのだと実感できるやり取りだ。彼女の背中を見てくれていた後輩がいる。そして後輩はいま自分の道を行こうとしている。マミさんの戦いは無駄じゃなかった、彼女の孤独は癒されたんじゃないかって気がする。まどかが魔法少女になったらケーキでお祝いしようという約束も果たしたことだしね。
  • リボほむちゃんかわいい!
    • ツインテールじゃないんですか!!1
    • ほむらちゃんとキュゥべえが友好的なのは何もキュゥべえが「改心」したからではなく、単に環境が変わって利害関係が一致したからなんだよね。感情がない相手と共存するには環境条件を変えるしかないという話ではある。
    • 使用済みグリーフシードをスタイリッシュに放り投げるシーン、キュゥべえとの会話を打ち切りたいってことなのかな。だとしたらキレなくなった分ほむらちゃん落ち着いたよね。
    • まどかの願いは、全ての魔女を生まれる前に消し去ること。魔法少女が力尽きるとき、まどかはその傍らに立って魔女を生むはずだった分の呪いを肩代わりする。魔法少女たちが希望を信じて死んでいけるように。魔女にならずにすむように。
    • でも、まどかの願った世界でも根幹的な部分では世界は何も変わっていない。結局魔法少女は戦いの運命を避けることはできず、戦い、傷つき、やがて死ぬ。宇宙のエネルギーも足りないままだ。絶望を引き受ける人間が変わっただけで、結局この世界もまた希望と絶望の差し引きはゼロのままなんじゃないか?
    • もちろん違う。ほむらがまどかの事を覚えている。まどかのリボンを付けている。その奇跡のぶん、新しい世界にはほんのわずかだけ希望の総量が多いのだ。彼女はこの先、世の中の理不尽に直面して怒ることもあるだろうし、たとえまどかのことを覚えていたとしても寂しさに泣くこともあるだろう。それでも、リボンを身に着けている限りこの世界には確かな希望はある。信じるに足る希望がある。そう感じさせてくれるラストだった。

*1:劇場版ではマミさんが契約したときのエピソード省かれてるけど。