読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

猫ロケット

夜空の星はねこの輝き。アニメ感想とか書きます。

ほむらとさやかとマミと杏子がお寿司を食べに行くおはなし

 「魔法少女まどか☆マギカ」の二次創作。
 ほむほむとさやかちゃんとマミさんとあんこちゃんがお寿司を食べに行くお話です。



hello,summer
1.
 よく晴れた日だった。日差しは柔らかく、空気は暖かい。放課後の空はどこまでも広がっている。それは心地良い解放感と、ひと握りの寂しさを感じさせた。
 暁美ほむらは、校門のそばに一人佇んでいた。
 艶やかな黒髪を腰まで伸ばした、落ち着いた雰囲気の少女だ。周囲の少年少女たちと同じ制服を着て、まっすぐに立っている。その隙のない雰囲気はどこか近寄りがたい印象を与えていた。
 不意に強い風が吹いて、その長い髪がふわりと浮かぶ。ほむらはその風に髪を流しながら、視線を空から戻した。
 校門から伸びる並木道を、帰途に着く生徒たちがめいめいに歩いている。おしゃべりをする者やふざけ合っている者たち。これから遊びにいく相談をしている者たちもいるのだろう。もうじき夏を迎えようかというこの季節は、授業が終わった時間帯でもまだまだ明るい。生徒たちの足取りもどこか軽いようだった。
 ――ブブブブブ……
 鞄の中から振動音がする。ほむらは携帯電話を取り出し、メールが着信していることを確認した。差出人は巴マミで、ほむらの上級生にあたる人物だった。もうじきやって来るという文面が、可愛らしい絵文字つきで書かれている。ほむらは了解した旨を返信した。
「あ……」
 携帯電話をかばんにしまう途中、道の片隅で立ち止まっている女子生徒たちが目に入る。彼女たちの視線の先には一匹の黒猫がいた。ほっそりとした体躯に光を吸い込むような真っ黒な毛並み。ただ何ということもなくそこにいるだけだが、少女たちの気をひくには十分だろう。当の猫は人間たちに見られていることを意に介する風でもなく、思うように毛づくろいを続けていた。前脚を舌で舐め、その脚を顔に擦りつける。
(猫が顔を洗うと雨、だったかな)
 その仕草が愛らしくて、ほむらはかすかに目を細めた。
「ほむらゲットー!」
 突然の声と共に、いきなり後ろに衝撃を感じた。振り向く間もなく後ろから抱きつかれて身動きを封じられる。
「成績優秀、スポーツ万能のクールでミステリアスな転校生! その上動物好きとかどこまで萌え属性つける気だー! うりうりー!」
 言いながら、声の主はほむらの頬を指でつついてくる。痛い。
「ちょっとっ、離して」
「うりうりー!」
「……さやかっ!」
 身をよじって振りほどくと、相手も本気で拘束するつもりはなかったのか、存外あっさりと解放された。
 多少の怒りを込めて振り向くと、そこにはほむらと同じ制服を着た少女が立っていた。肩まで伸ばしたショートカットに、やけに楽しそうな瞳。彼女――美樹さやかは悪びれた様子もなく言った。
「いやー、近づいても気づかないもんだからつい」
「だからっていきなり後ろから抱きつかないで。だいたいモエって何なの」
「さらに天然も追加だとー!? やばいマジ天然記念物だ! さやかちゃんが保護しちゃうぞー」
 再び両手をわきわきさせるさやかを横目で睨みつけるものの、だんだんと気勢が削がれていくのを感じる。ほむらは少し息を吸い込んで、吐いた。
「普通に話してほしいのだけど」
 それが一区切りということなのだろう、さやかは普段の口調に戻って、言った。
「普通と言えばさー、そもそも同じクラスなんだから一緒に出ればいいじゃんか」
「それは……何か用事があるみたいだったから」
 実際、ほむらはその通りにしようとした。だが、数名のクラスメイトに囲まれて何か話しているらしいさやかを見て、何となく声をかけづらくてそのまま教室をあとにしてきたのだった。
「用事? そういうんじゃないよあれは。というよりほむらの話だったんだからその場で来てくれれば早かったのに」
「私の?」
「そりゃそうだよ。クラスではあんだけ近寄りがたい雰囲気を出しときながらあたしとは普通にしゃべってるんだもん、理由を訊かれて当然でしょ。どうやって仲良くなったのーとか暁美さんの趣味はーとか」
「理由、ってまさかあなた……」
 二人はある重大な秘密を共有していた。魔法の契約。
 彼女たちはインキュベーターと呼ばれる存在との契約により、願いを叶え、その代償として、魔法の力をもって魔獣と戦う宿命を課された子供たちだ。
 それを秘密にする決まりがあるわけではないが、人に話しても面倒が多いばかりでいい事はない。暗黙の了解として仲間以外には口外しないことにしていた。
 やや声を緊張させるほむらに、さやかは手のひらをぱたぱたと振ってみせた。
「もちろん本当のことは言えないから適当にごまかしといたけどね。でもまあ、もうちょっとはあたし達以外とも話したりしてもいいんじゃない?」
 言われてみれば思い当たるふしがある。基本的に必要な事以外はあまり口を開かないし、話す相手も美樹さやかか、彼女と一緒にいるときにその友人の志筑仁美と会話する程度だった。自分としては普通に過ごしているつもりだったが、周囲からは奇妙に見られていたのだろう。
 それを当のさやかに指摘されてしまったのだ。そうね、と素直に頷く気もしないので、何となく曖昧に答えておく。
「つーわけで明日ほむらを入れてみんなで学校近くの喫茶店行くことになったから」
 頭に冷水をかけられたような気がした。
「どういう事かしら」
 長い髪をかき上げ、声が出そうになるのをすんでのところで抑える。幸いさやかにはその動揺を気取られなかったようだ。彼女は、いやあほら、などと気まずそうに笑いを浮かべている。
「言ったでしょ、適当にごまかしたって。そしたらなぜかそういう流れにさあ……まあ、あたしのためと思って頼むよ」
「よくその場にいない人間の約束ができるものね」
「だーってさ、あいつらしつこいんだもん。ほむらの好みなんかむしろあたしも知らないのにね。ああ、甘いもの大丈夫だよね。マミさんちで普通に食べてたし」
「あのね、私は別に行くとは……」
 確かに明日は特に予定はない。明後日もだが。実を言うと、その次の日も。
 しかし、だからといって。
 心が冷えていくのを感じる。別にさやかやクラスメイトの女子たちに怒りを感じているわけではない。だが、唐突に思ってもいなかった場に引っ張り出されて、気持ちがこわばっていくのを感じていた。
 ――断ろう。
 だが、ほむらが口を開きかけた瞬間、さやかがそれを制した。
「ほむらの言いたいことは分かるよ。でもさ」
 ふいにさやかの顔に緊張が浮かぶ。
「正直言ってこれが最後の機会だと思う。あの子たちだっていつまでもほむらに興味持ったりしないよ。他の子達もそう。別に仲良くしなくてもいいけど、闇雲に遠ざけたっていいことないよ」
「今日はずいぶんお節介なのね」
「そうさ、お節介さ。放っておけなくて」
 さやかは拳を握りこんだ。
「その……あたしたちは他の子とはだいぶ違う体になっちゃったけどさ、それでもあたしはあたし、ほむらはほむらだよ。その事を考えてるんなら、あんまり気にしないほうがいいと思う」
 さやかはほむらから視線を外して、直視を避けた。
 おっかなびっくりしゃべっているのは、彼女がまだ自分の言葉を腹の底まで飲み込めていないからなのかもしれない。きっとさやかもまだ、自分自身に言い聞かせている途中なのだと、ほむらは直感的に分かった。
 それでもほむらに話してくれるのは……ほむらもまた同じ事で苦しんでいると考えているから、なのだろう。ほむらを助けたいと思ってるのだ、彼女は。
「……いつもそのくらい冷静でいてくれたらね」
「どういう意味?」
「いえ、気にしないで」
 ほむらは天を仰いだ。
 もうこうなったら正直に認めるしかないのだろう。自分の気持ちを。
 決意とも諦めともつかない複雑な気分だった。あるいはどちらも同じ事なのかもしれない。いずれにせよ前に進むしかないのだから。そう、進むしかない。時間は止まらないのだから。
「悪いけど、別にそういうことじゃないわ。単に…………苦手なのよ。こういうことが」
「え?」
 なかば自棄になりながら続ける。
「教室で声をかけられるくらいならあしらうことはできる。けれど、喫茶店に行くのならわざわざ話をするために集まるのでしょう? 私は流行の話題には詳しくないし、彼女たちを退屈させてしまうかもしれない」
「……あはははは!」
 暗い顔から一転、大口を開けて笑い声をあげたさやかは、ばんばんとほむらの背中を叩き始めた。払いのけても一向にやめる気配がない。まるでボタンを押しても止まらない目覚まし時計のようだ。
「ちょっとっ!」
「オッケーオッケー! 心配して損したよ。そういう事なら大丈夫だ、うん」
 背中を叩かれ続ける痛みとは裏腹に……いや、実際痛いのでやめてほしいのだが……ともあれ、ほむらの胸には奇妙な安堵感が湧いていた。
 認めざるを得ない。彼女は……美樹さやかは頼りになる友達だ。
「妙に嬉しそうね」
「いやあ、なんかこう、いじりがいのある相手がいなくてさ。仁美にはこういうことできないし。よし、ここは一つ放課後暇を持て余したさやかちゃんがいろいろ特訓してやるとするか! ああそうそう、あたしが言うのもなんだけど、悪いやつらじゃないよ。ちょっとウザいかもだけど」
「あなたに言われたくないんじゃないかしら」
「そうそう、そんな感じで行けば問題ないって」
 はあ、とほむらはまたため息を付いた。さやかといるとため息の回数が増えてくる。
 幼馴染の少年が退院してからというもの、彼女はどうも暇と元気のやり場に困っているらしい。他人の世話を焼きたがる彼女の性格は、まあ、おおむね長所だ。だが、それがほむらに向けられるとなると話は別だった。もう少し放っておいてくれるほうが気楽ではある。
「そういえばさ、最初に聞こうと思ってたんだけど。ほむら、ケータイ持ってたんだ」
「一応ね。巴さん、もうすぐ来るそうよ」
 言うが早いか、遠くに巴マミが見えた。
 ほむらやさやかの一つ年上で、上級生にあたる人物だった。おっとりとした雰囲気の少女だ。動きが遅いわけでもないのにどこか悠々とした印象を抱かせるのは、彼女にそういう天性が備わっているということなのだろうか。
 だが今は、ピンク色の丸っこい携帯電話とにらめっこしながら、整った唇をわずかに尖らせていた。全体的に大人びた雰囲気の彼女だが、困った顔をすると少し幼く見える。が、さすがにそれを言うと気を悪くするだろう。
「おーいマミさーーん!」
 さやかが呼びかけると、マミは顔を上げて、桜のつぼみが開くように微笑んだ。
「おまたせ、二人とも」
「いえいえ全然待ってないっすよ。ところで、何かあったんですか?」
「うーん、何かってほどのことじゃないのだけど……」
 それからマミはほむらの方を見て、ほむらを責めるわけではないことを前置きしてから、言った。
「暁美さんのメールっていつもそっけないのよね。『分かりました』とか『了解です』とか」
「……別に他意はありません」
 本当に、他意はなかった。意外と細かい事を気にするタイプらしい。
 たしかに、かわいらしい顔文字や絵文字を駆使するマミのメールに対して、用件だけを返すのは少し簡素に過ぎるかと思ったこともあるが。
「あまり、柄じゃないと思って」
「ていうか、なんでテレパシーで会話できるのにメールで連絡してるんですか?」
 そういえば、そうだった。ほむらたち魔法少女はそういう芸当も可能だ。というより、魔力が許す範囲内でほぼ何でもできると言ってもいい。テレパシーは難易度の低い部類の技術だった。
「魔法は必要最低限だけ使うべきだわ。テレパシーも魔法である以上、ごくわずかだけど魔力を消費してしまうしね。それに、こっちのほうが大事なんだけど……あまり無闇に魔法を使うと生活の感覚がおかしくなってきちゃうから」
「感覚?」
 首をかしげるさやか。マミはうーん、と人差し指をあごに当てた。
「たとえば、棚の高いところにある食器を取るのに、台を使わなくても魔法で取っちゃうことはできるでしょ。でも、そういう風に考えてしまうのはすごく怖いことだと思うの」
 その何気ない発言には実感がこもっている。きっと実際にそういう経験があったのだろう。ほむらは密かに感心していた。
 思えば、魔法少女として日常生活を送ることについては、巴マミに一日の長がある。
 ほむらは戦いのためだけに魔法を使ってきた。すべてを一つの目的に捧げてきた。その目的が終わってしまったあとのことなんて考えもせずに。
 だから、巴マミには学ぶところが多いのではないかと感じていた。彼女は、生きることと魔法少女であることが重なっている人物だから。
「そうかなあ。魔法で取っちゃえばいいんじゃないですか。すごく便利そうだけど」
「駄目。あなたたちは人間をやめたわけではないわ」
 ほむらから思いがけず放たれた強い言葉に、二人の注目が集まる。
「あなたは、あなたよ、美樹さやか」
「何それ、さっきの仕返し?」
「言葉通りの意味よ」
 自分がやや飛躍したことを言っているのに気づき、ほむらは口ごもる。だがマミには何となく伝わったようだった。
「まだ魔法少女になりたての美樹さんには分かりにくいかもしれないわね。でも、それならそれで先輩の言うことは素直に聞いておくほうがいいんじゃないかしら。怠けると太っちゃうわよ?」
「う……それは」
 マミの勝ちだ。その発言にもある種の実感がこもっているような気がしたが……確認するのはやめておこう。
 勝利宣言というわけでもないのだろうが、マミは手首の内側を顔に向けて、腕時計を確認した。
「さて、と。皆揃ったようだしそろそろ行きましょうか」
「あれ、杏子は?」
 さやかが言ったのは、もう一人の魔法少女、佐倉杏子のことだった。ほむら達はその佐倉杏子を含め、四人でチームを組んでいた。
 ほむら達に限らず、魔法少女はよくグループを作っている。それは複数人で戦うほうが効率がいいからだし……大抵の場合、魔法少女は孤独だからだ。
 杏子もまたほむら達と同年代の少女だが、彼女は事情があって学校には通っていない。日中はその辺をフラフラしているはずだった。
「佐倉さんも近くにいるのよ」
 ふふ、と笑ってみせる。
 こういう時の彼女は楽しそうだ。
「佐倉さんとテレパシーで話をしたの。彼女は電話を持っていないものね」
「えーっ!? なんかずるいよーな」
「せっかくの魔法だもの、有意義に使いましょう?」
 そういってマミはさやかに向かってウインクする。
 そんな芝居がかった仕草が嫌味にならないのがこの人のすごい所だと、ほむらは思った。


2.
「小さいときに一度だけ、家族で回転寿司に来たことがあるんだよ」
 四人がけのテーブルに座りながら、佐倉杏子はそう言った。
 合流した四人は、目的地に向かう前に軽く何か食べていこうということで、近くの回転寿司店に来ていた。どこにでもある大衆向けの店だ。店内をぐるりと一周するベルトコンベアの上を寿司を乗せた皿が所在なげに流れていて、コンベアを囲むように座席が配置されている。
 夕方のこの時間帯はまだ混雑しておらず、人のざわめきも少ない。店内では、流行歌を和風にアレンジした音楽がゆっくりと流れていた。
「何を食べたかなんて覚えてねえんだけどさ。ただ、子供心に寿司が回ってるのが楽しくてはしゃいでた記憶が、ぼんやりあるような気がするんだよな」
 中学校の制服をほむらたち三人とは違い、杏子は私服だ。長い髪をポニーテールにまとめ、パーカーを羽織ってショートパンツを履いている。可愛らしさよりも動きやすさを重視した服装だ。これはこれで似合ってはいるが、きっと彼女はファッションになんか興味ないだろう。
 猫のような瞳に鋭い光を宿した、気の強い少女だ。言いたいことを言い、やりたい事をやる。裏表がなくて信頼できる人物だとほむらは思っていた。
「今見ると、ただ回ってるだけなんだけどさ」
 ただ、意思の強さを宿す瞳も、過去の思い出を語る今はかすかに光が揺れているようだった。
「子供のころは、家族とお出かけするだけで楽しいものよ。きっと佐倉さんもそう。場所なんて関係ないんだわ」
「……そういうもんかもな」
 そして杏子はベルトコンベアを流れてきた唐揚げの皿を取った。
「って、いきなり唐揚げ取ってるし!」
「別に何から食ったっていいだろ」
 言いながら早くも一つ目の唐揚げを口に入れている。
「寿司屋に来たんだからせめて最初くらいは寿司を食べなさいな」
「お寿司屋さんに唐揚げなんてあるのねえ」
「マミさんまで……」
「あら、もしかして美樹さんは鍋奉行タイプなのかしら」
「じゃあさやかは何を食うんだよ?」
「えーと、じゃあ、あたしはこれで。すいませーん、炙りサーモンください」
「あ、みてみて、デザートもあるわよ」
 そんな騒がしい三人を横目に、ほむらも流れてきた玉子を取る。
 白い酢飯に黄色い卵焼きがどっかりと乗っていて、その両者を黒い帯できゅっと締めるように海苔が巻いてある。手でつかむのか箸を使うのか一瞬迷ったが、箸を使うことにした。
 口の中に入れると、ひんやりとした食感がした。卵焼きは甘くて美味しかったが、酢飯が乾いてややぱさついていた。なるほど、コンベアを回っている間に乾いてしまったのだな、と思い当たる。
「すいません、玉子ください」
「……ほむらも大概マイペースだよな」
「やれやれ、魔法少女が集まっているから様子を見に来てみれば」
 全く唐突に新たな気配が生まれた。人――ではない。猫ほどの大きさの小動物だ。
 ぬいぐるみのように可愛らしい容貌、真っ白でつややかな体躯、神秘的な長い耳、そこにいるという現実感が全くない生き物。
 すべての魔法少女の水先案内、キュゥべえだ。あらゆる魔法少女は『それ』との契約によって生まれる。
「その気になれば食事を摂らなくても生きていける体の君たちが、こんなことで大騒ぎしているとはね」
 キュゥべえはその可愛らしい容姿とは裏腹に、何の感情もこもっていない声で淡々と告げる。
 ほむらの視界の隅で、箸を持つさやかの手が止まる。
「そう、なんだ」
 その呟きを質問と受け取ったのか、キュゥべえはさらに続ける。
「君たちにとって肉体は魂の乗り物に過ぎないと説明しただろう? 乗り物を動かすエネルギーが食事によるものか魔力によるものかの違いでしかないさ。もっとも、あまりおすすめはしないな。いたずらに魔力を消費して、戦いのときに全力が出せないのでは困るしね」
 困る、などと言いつつも他人事のような響きなのは、キュゥべえにとって魔法少女は代えのきく資源だからだ。死ねば損失だが補充は可能である。実際、今もこの世界に何百人という魔法少女たちがいて、何人かが新たに契約し、そして何人かは力尽きて人知れず姿を消しているはずだった。キュゥべえにとって一人一人の生き死には取り立てて重要なことではない。
 だが、むろん敵というわけではない。利害は一致しているし、今のところそれが崩れそうな兆しもなかった。
 それは分かっているのだが、湧き上がる苛立ちだけはどうしようもない。
 とはいえキュゥべえを言い負かすことはできない。根本的に価値観が違う彼らには皮肉も罵倒も届かないからだ。だから、せめて……
(耳を引っ張ってやろう)
 それを実行に移すべく腰を浮かせかけたとき、向かいに座る杏子が口を開いた。
「メシ食わなきゃ生きてる意味ないだろ」
 単純なその一言は、ほむらがうまく手にすくえなかった苛立ちが形になっていて、胸がすく思いだった。
 彼女の言葉には力がある。それは魔法とは別の、彼女自身の資質なのだろうと思えた。
 ほむらは心が晴れていくのを感じた。同時に、今後は同じ質問には杏子と同じ言葉を返そうと決めていた。
 それと、やはり耳はつねっておくことにした。
「それに見たところあまり効率もよくなさそうだ。食器が自動で運ばれているのは何か意味があるのかい?」
「はいはい、おしゃべりはそれくらいにして、こっちにいらっしゃい」
 見かねたマミが床の上に立っていたキュゥべえを持ち上げて、膝に乗せる。
 それを見たほむらは、そのキュゥべえの耳をつかもうと手を伸ばした。ちょうど、身を乗り出してマミの目の前に手を差し出す格好になる。
「ほむら、どうかしたのかい?」
「さっきも猫見てたしねー。ほむらって意外とかわいい系好きだよね」
「コレ、猫かあ?」
「猫……ではないわよね」
「違う、私は……」
 だいたい、もしかして、今のやり取りを気にしていたのは自分だけなのか? 三人とも普通に食事を続けているし、特に変わった様子もない。さやかの手が止まったのもたまたまなのか? いや、そんなはずはない。たしかにこの目で。
 振り上げた拳を下ろすのが居心地が悪くて、ほむらは意味もなく髪をかき上げる。
 ……食事中なのにちょっと行儀が悪いかもしれない。一体いつの間にこんな癖がついたんだろうか。
「んーーーーーーーーーっ!」
 ほむらが一人で考え込んでいる間にも次の皿を取っていた杏子が、突然声をあげた。口の中に寿司を頬張ったまま、目に涙を浮かべている。
 どうやら何気なく食べた中トロにわさびが入っていたらしい。たまたま多めにわさびが入っていたのを取ってしまったようだ。
 五秒、十秒……目を見開いたまま固まっていた彼女も、ようやく覚悟を決めたらしい。ごくり、と喉だけが別の生き物のように大きく動いた。
「うへえ、何だよこれ……」
 なんとか飲み込んだあとも口の中に違和感が残っているのか、しきりに口をもごもごさせている。
「何って、わさびじゃん」
「そりゃ知ってるけどさ。なんでかな、忘れてたんだよ、寿司にはわさびが入ってるっての」
「もしかして、佐倉さんがまだ小さかったからご家族の方がわさび抜きを頼んでくれてたんじゃないかしら」
 杏子の眉がぴくんと跳ねた。
「そうか、そうかもな……」
 杏子はもうひとつ残った方の寿司を割り箸でつついていた。酢飯の上に乗った刺身を箸で持ち上げると、その裏にべっとりとわさびがついているのを確認して、顔をしかめる。
「お店の人に頼んでわさび抜きに代えてもらおうかしら?」
「だめだ。食い物を残すわけにはいかない」
 やっぱり、そうよね。マミは少し困ったように言った。
 食べ物を粗末にしないこと。それは奔放で物事にあまりこだわらない彼女が唯一自分に、そして他人にも課しているルールだった。
「だいじょーぶだいじょーぶ。一口でぱくっと行ってお茶で流しこんじゃえば平気だって。まあいざとなったら独り身で寂しいさやかちゃんが食べてあげるから」
「それ、ウザいからやめてくれ」
「……へ?」
「振られたんならさっさと諦めろよ。でなきゃ取り返す方法を考えなよ。どちらもせず、過ぎたことをいつまでも引きずるのは、愚かだ。みっともない」
「ちょっと佐倉さん、言いすぎよ。美樹さんはまだ……」
 杏子の発言を諌めようとするマミ。
 だが、さやかはそれをすっと手を上げて制した。無表情になろうと努めている顔で、きゅっと唇を結んでいる。
「……もしかして、マミさんもそう思ってました?」
「……そうね。確かに、あまり楽しいものではなかったわ」
「ほむらも?」
「辛い思い出を自分一人で抱えておくのは苦しいことだわ。人に話して楽になるのなら、少しくらいは構わないんじゃないかしら」
「ほむらって、たまに優しいよね……ありがと。でもま、杏子やマミさんの言うとおりだよね。ちょっと度が過ぎてた」
 それからさやかは椅子を引いて席を立つと、腰を直角に折り曲げて深々と頭を下げた。
「すいませんでした!」
 店内に声が響き渡り、周囲の客の注目が集まる。マミが慌ててさやかを座らせた。
「何もあなたのこと責めてるわけじゃないのよ」
「いいんです。あたしのけじめの問題なんで。それと――杏子、目を閉じて」
「何だよ?」
 言いながらも素直に従う杏子。眉間にしわを寄せてきゅっと目をつむった。
「口開けて」
「あんあんあお?」
 目をつむって口を開けている様子は、まるで虫歯を抜かれるのを待つ子供のようだった。彼女は世間擦れしているようで意外に純朴なところがある。
 ほむらはさやかの意図に気がついた。マミも同様だったが、やれやれといった素振りは見せるだけで、さやかの行動を止めるつもりはないらしかった。
 ほむらとマミが見守るなか、さやかはまだ残っていたマグロを手でつかむと杏子の口の中に放り込んだ。
「んーーーーっ!」
 先ほどと同様の悲劇が繰り返される。それをにやにやしながら見ているさやか。
 杏子は噛むことも飲み込むこともできないまま、リスのように頬を膨らませている。救いを求めるように湯呑みに手を伸ばして――そして、中身が空になっていることに気づく。
「――っ!?」
 それでもなんとか寿司を飲み込むと、へなへなとテーブルの上にへたり込む。わさびの刺激と不意打ちとの二段攻撃で彼女はすっかり参っているようだ。その瞳に、涙目を通り越して大粒の涙がつう、と流れていった。
「あははははは!」
「もう、そんなに笑っちゃだめじゃない」
 心配そうに観ていたマミですら目尻を下げ、口元を手で覆っていた。ほむらも、思わずくすりと漏らす。
「いやーあの顔はほんと傑作だわ。いつも生意気なのがあんだけ情けない顔になっちゃって。あたしの気はもうすんだよ。お釣りがくるくらいだ」
「笑いすぎだろ……」
 普段は勝気な彼女も、いまはぐったりと憔悴しているようだ。
「ムリムリ、笑うなとか無理だって。ほむらが吹き出すレベルなんだからさあ」
「そうね、珍しいわよね」
「えっ」
 そう指摘されて、ほむらは自分が笑っていたことに初めて気がついた。
 急に落ち着かなくなって、ほむらは意味もなく椅子に座り直す。それから少し間を置いて、呟いた。
「……私だって、笑います」
 なんだか、くすぐったい。


3.
 夜。ほむら達四人は繁華街の奥深くを注意深く歩き回っていた。
 色とりどりのネオンサインが激しく自己主張を繰り返す猥雑な通りだ。少女たちが散歩するには少しいかがわしい場所だった。
 だが、こういう場所のほうが『奴ら』は出現しやすい。人の憎しみや怒り、悲しみといった感情から生まれる存在だからだ。精神世界の澱みが形ある悪意となってこの世界に現出する。それが魔獣と呼ばれる存在だった。
 なおも四人は歩みを進める。すると、繁華街の真ん中の、ふと忘れ去られたような空隙に行き当たった。元は何かの建物があったのかもしれないし、あるいは元から空き地だったかもしれない。ほんの十メートルほど行けば賑やかな大通りだと言うのに、ここには全く人の気配がない。光と音の洪水のなか、ここだけが台風の目のように静かだ。
 通りの側ははきらびやかに装飾された建物も、その裏側は惨めなものだ。風雨に晒され薄汚れた壁、歩くだけで埃にまみれそうな通路、明かりが切れかかってバチバチと音を立てる蛍光灯、その下に溜まる虫の死骸。
 生ぬるい空気に漂ううっすらとした悪臭が鼻を付いた。
 漏れてくる光のおかげで暗くはないが、この場所のために用意された照明は一つもない。今日みたいに月の明るい日でなければ、本当に穴が開いているようにしか見えなかっただろう。
 経験上こういう場所は――来る。
 先頭を行くマミも感じるところがあったのだろう。彼女は立ち止まり、ここを今夜の戦場と定めたかのようだった。
「私たち、チームで行動するようになってけっこう経つわよね」
「ん? まあ、そうだな」
 魔法少女がチームを組むメリットは大きい。一人よりも複数で戦うほうが安全なのは言うまでもないし、互いの得意分野を生かすことで消耗を抑えることもできる。たとえば遠距離からの銃撃と大火力での制圧が得意なマミと、接近戦を得意とする杏子が連携するといったように。
 そして、魔法少女のソウルジェムを癒し、汚れを取り除く「グリーフシード」も、数人で分けるには十分な量が得られる。消耗が激しい者が居れば多めに割り振ることもできるし、余ればメンバー間で分配してもいい。
 リスクと報酬を考えれば数人でチームを組むのが最も理に適っているのだった。
 もちろんそれは、メンバー間の同意があればこそである。
 彼女たち――巴マミ暁美ほむら、美樹さやか、佐倉杏子の四人は、元からの友人というわけではなかった。だが、巴マミの強い働きかけにより、いつしか彼女を事実上のリーダーとして四人は集団で行動するようになっていた。紅茶が趣味の彼女が、たびたびお茶とお菓子を振る舞っていたことも功を奏したかもしれない。
「それで、チーム名を考えてきたんだけど」
 びくうぅぅっ!!
 マミの後ろに立っていた杏子が感電した猫のように跳ねた。ひどく慌てた様子で、隣のさやかの耳を掴む。
「お、おいさやか! このままだと変な名前を付けられてそれを叫んだりするはめになるぞ!」
「痛っ! 何よいきなり慌てて」
「お前はマミの恐ろしさを知らないから!」
「……佐倉さん、ばっちり聞こえてるんだけど」
 気がつくとマミが半眼になって杏子を見つめていた。温厚な彼女がこういう表情をするとまるで怒っているような迫力がある。
 実際、杏子も勘違いしたらしく、やや狼狽していた。
「い、いや、お前が『ティロ・フィナーレ』とかやってるのは自由だと思うんだけどさ。あたしは別にそういうのいいよ。なんかふざけてるみたいで気まずいんだって」
「もう、前にも言ったじゃない。技に名前をつけるのは自分の心を奮い立たせるためだって」
 そこにさやかが急に割って入る。
「やっぱかっこいいですよね! ティロ・フィナーレ! 私も結構戦いにも慣れてきたし、そろそろ必殺技が欲しいな。さやかファイヤーとか」
「は?」
「美樹さんの攻撃って炎とか出てたっけ……?」
 どうやらさやかもマミと同じ感性の持ち主らしかった。語彙にはかなり差があるようだが。
 ともあれ、二対一だ。さやかも味方になりそうもないと分かったいま、杏子の視線は必然的にほむらに向けられることになる。
「ほむらぁー」
 彼女らしくもない情けない声がなんだか無性におかしくて、少しだけ意地悪してみたくなった。
「いいじゃない、名前くらい…………ね、まどか」
「……まどか?」
 さやかがその単語を訊き返すより先に、ビュゥッ、と寒気のする風が吹いた。ちりちりとした不快感が背筋を撫でる。
 この世のものならぬ異界の風があたりを塗り替えていく。そして、直前までは存在しなかった人影が現れていた。
 人影。
 一言で表すならそうとしか呼べないが、実際には大ざっぱに人の形をしているというのに過ぎない。大きさは人間程度だが、虚ろな表情でただ立っているだけの姿は、全く人間らしさがない。感情や知性というものを全く感じさせないのに、なぜか明確な殺意だけを過剰に漂わせている。
 この世界の悲しみ、憎しみ、絶望――そういった負の感情がより集まって人の姿をなした存在。形ある悪意。
 これが魔法少女の倒すべき敵であり、狩るべき糧でもある存在――魔獣だった。
 魔獣は十数体いるようだった。さっさと切り崩さないと囲まれてしまう危険がある。
 四人はすでに戦闘体勢に入っていた。魔法少女とは、魔獣を狩る者たちの名だ。
「オッケー、いつも通り行くわよ! 佐倉さん、美樹さんを援護して! 暁美さんは周囲を警戒!」
「分かってる!」
 すでに駈け出しているさやかを追って、杏子も走り出す。
 魔法少女たちはそれぞれに武器を持っている。さやかは剣、杏子は槍、マミは銃、ほむらは弓だ。
 だから、リーチの短いさやかが敵の懐に飛び込み、次に杏子、そしてマミとほむらが遠距離から援護するというのが彼女たちの基本戦術だった。
「うりゃああっ!!」
 ダッシュで駆け寄った勢いそのまま、さやかは一番近くにいた魔獣に全力で剣を振り下ろす。戦術も何もない攻撃だ。魔獣は肩から脇腹にかけて真っ二つになり、霧のように消滅していく。
 当然、そんな無茶苦茶な動作は大きな隙を生んだ。完全に動きが止まって無防備になったさやかに別の魔獣が襲い掛かる。腕、のようなものをさやかの背中に向かって高速で振り下ろす!
 ――ガキンッ!
 その攻撃を杏子が間に入って受け止めた。さやかは振り返ることもせず、再び走りだした。当然、敵陣により深く食い込む形になり、さやかはより多くの敵意に晒される。
「もういっちょう!」
 ぱしゅっ!
 水の入った袋を叩き割るような音を立て、もう一体の魔獣が虚空へと消え去る。
「おいさやか!」
 だが魔獣の数はとにかく多い。次の瞬間には再びさやかの死角に魔獣の影が踊る。
 ドン、ドン、ドン、ドン!
 銃声と同時、魔獣の側面にいくつもの穴が開いていた。マミの援護射撃だ。
「美樹さん、前に出過ぎよ!」
「お前、何やってんだよ! フォローしきれねーぞ!」
 さやかの背中を守るように立ちながら毒づく杏子。だがそんな彼女に応える様子もなく、さやかはその場で唐突に立ち止まった。
 攻撃の動作を捨てて、深い集中状態に入っていく。
 まるで海の底で一人たたずむように。
 静かに。たゆたうように。
 足を肩幅に開き。
 静かに深呼吸し。
 天を仰ぎ――そして、月に吠えた。


「まどかぁぁーーーーーーーーーーーっ!!!!」


 ドクン、とほむらの心臓が跳ねた。
 彼女の口から出るはずのない名前だった。
 まさか。まさか。まさか。まさか。さやかは彼女のことを覚えているのか?
 ほむらは、目が眩むのを感じていた。頭に血が上りすぎて何がなんだか分からない。鼓動に合わせて視界が揺れる。まどか。
「よし、この名前に決めたよ! 呼びやすいしさ!」
 にかっと笑うその表情は、いつもの勇敢な彼女だ。
 さやかは手にした剣を両手で握り高く掲げる。瞬間、刀身の十数倍はあろうかという光が爆発的に生まれ、バチバチと火花を立てる。
「とぉぅりゃあーーー! 必殺! まどか斬りぃぃーーーーーーーっ!」
 さやかが剣をなぎ払うと、光の嵐、としか呼びようのないものが現れた。剣の軌跡が空間に焼きつくほどの圧倒的なエネルギー。
 斬撃というよりは光で殴りつけるような荒々しい攻撃だ。圧倒的な光の奔流に呑まれ、魔獣たちは一体、また一体と瞬く間に蒸発していった。
 空間に刻まれた残光が収まると、頬を紅潮させたさやかがくるりと向き直った。
「いぇーい、どうよこれ!」
 腕をびしっ! と突き出してVサインを決める。
「言ってる場合か! まだ残って……」
 ――シュバッ!
 風圧。杏子の言葉が終わらぬうち、彼女の長いポニーテールが揺れるほどの風がすぐ隣を駆け抜けていった。
 ほむらが放った光の矢……いや、矢とは呼べないような巨大な塊だ。最後にのこった魔獣はその光に触れた瞬間、悲鳴を上げる間もなくたちまち爆発四散した。
 爆発が収まったあとにはもはや敵の姿はなかった。しばらくは警戒を続けていたが、もはや敵の気配はない。やがて杏子が戦闘態勢を解いた。
「どうやら終わったみたいね」
 同じように戦闘態勢を解除しながら、マミはその場にしゃがみ込んでいた。
 魔獣が倒れた場所に小さな石のようなものが落ちているのを、指でつまみ上げる。滑らかで光沢があり、完全な立方体をしているそれは、まるで黒い角砂糖のようだった。
 この石には戦いで消耗した魔力を回復させる作用がある。魔力が尽きればその存在が消滅してしまう彼女たちにとって、ある意味では食事のようなものと言えた。
「じゃあ、回収しましょう」
「あたしはそれほど魔力使ってないからさやかに多めに分けといたほうがいい。こいつ、無茶苦茶しやがって」
 となりに立つさやかを横目で睨みつける杏子。
「でも、かっこいい感じじゃなかった?」
「馬鹿」
「馬鹿って何よ!」
「美樹さん、さっきの技はちょっとやり過ぎよ。効果に対して威力が大きすぎる。卵を割るのに金槌を使うようなものだわ」
「すいません、なんかテンション上がっちゃって」
「まったくもう……あら、暁美さん?」
 マミの視線の先に、魂を撃ち尽くしたかのように呆然と立つほむらがいた。彼女だけがまだ、戦いは終わっていとでも言うように武器を手にしたままだった。
「どうしたの? どこか具合でも悪い?」
 気遣わしげなその言葉に、ほむらは答えることができない。ほむらの思考は、先程さやかが口走った言葉に埋め尽くされていた。
 さやかが彼女の名前を叫んだのはただの偶然だ。ほむらが漏らした言葉を聞き咎め、それを何となく使ってみたに過ぎない。
 だが、そんな偶然でもほむらを感傷の渦に突き落とすには充分すぎたのだ。思い出を一人で抱えているのはつらいことだと、さっき自分で言ったばかりだった。
 唇が震える。顔が熱い。泣き出しそうになるのを堪えているのは傍目にも明らかだろう。だが、その衝動に屈してしまうわけにはいかない。ほむらは怯む心を何とか押さえつけた。
「巴さん……あなたは何のために戦っていますか?」
 唐突な質問に、マミはきょとんとする。だがそれも一瞬のことだ。ほむらの真剣さに応えるように、真正面から彼女の瞳を見つめ返した。
「この力を使って街の人々を守るためよ。魔獣は人を襲う。普通の人達には魔獣と戦う術はない。これは私や、私たちにしかできないことだから」
 それから、さきほど拾い上げた黒い石に目を落とした。
「そしてもちろん、生きるためでもあるわ。私たちにはこれが必要だから」
 ほとんど模範解答のような言葉だ。綺麗事と言ってもいい。だが、マミにはその綺麗事を支えるだけの実力があったし、覚悟もあった。そして、少なくともマミの言葉を笑わなかった魔法少女がここに三人いる。
 ――いや、四人だ。
「私は、少し違います」
 ほむらは堰を切ったように語り始めた。
「私たちは皆、何かの希望を叶えて今ここにいます。けれど、希望が幸福ばかりを呼び寄せるとは限らない。それは、思わぬ形に転ぶかもしれない。望みはかなわないかもしれない。奇跡を願ったことを後悔するかもしれない。希望と絶望の差し引きは結局ゼロで、誰かを救ったぶん、別の誰かを傷つけるだけなのかもしれない。願った希望と同じぶんだけ絶望を撒き散らすなら、結局のところ奇跡は無意味なのかもしれない。魔法少女が報われる日なんて永久に来ない。それでも……それでも希望を抱くことは間違ってなんかいない。間違いになんかさせない! そんな世界を望んだ誰かがいたとしたら……!」
 そんな誰かがいたら……どうだというのだろう。感情だけが竜巻のように荒れ狂って自分でも理解ができないなか、言葉だけが自然に出てくる。
「……そんな世界を望んだ誰かがいたとしたら、私は、彼女の希望を守りたい」
 そうしてほむらは、初めて、自分の気持ちを知る。
「さやか、杏子、マミ……さん。私はあなた達を守るために、戦います」
 魔法少女は、死ぬ。すべての魔法少女に待ち受けているのは、避けがたい破滅の運命だ。
 ――だがそれでも、一人取り残されたこの世界で、私が選んだ答えなんだ。
 抗う術があるかぎり、それは絶望ではない。戦うべき敵がいるのなら戦えばいい。この世界には、信じるに足る希望があるのだということを、証明してみせる。そのために!
 四人の間に沈黙が降りる。
 その静寂を、表通りから響くかすかなざわめきが埋めた。そのざわめきは別の世界から届いているように遠い。
 ここは世界から切り離された場所だった。遙か頭上の満月が、漏れてくる人工の光と交じり合って、魔法少女たちの淡く頼りない影を作っていた。
 最初に動いたのは杏子だ。つかつかと歩み寄ってきて、とん、とほむらの胸に拳を突き当てた。
「よく分かんねーけど、戦う理由があるなら、あとは戦うだけだ。やれるところまでやるだけだ。全力で行ってみなよ」
 さやか。彼女は苦手な科目で教師に当てられた生徒のように。
「あー、あたしもよく分かんないけど。とにかくほむらが守ってくれるんなら安心だね」
 マミは、優しく微笑んでいた。
「私だって誰も死なせるつもりでなんて戦ってないわよ。暁美さん、あなたもね」
 自分はよく耐えた、とほむらは思った。
 拙いながらも自分の気持ちを吐き出した。それが仲間に受け入れられた。一人迷子になっていたこの場所で道しるべを見出した。もう充分じゃないか。もう我慢する必要なんてないじゃないか。
 ほむらは唇を噛んだ。
 それでも、胸の奥からせり上がってくる熱い波に身を任せたいという衝動を、すんでのところで踏みとどまる何かがあったのだ。
 ほむらは武器を構えた。
 弓を引き絞り、矢の切っ先を遙か頭上の満月と重ね合わせ、祈るような想いを指先にこめ、立て続けに光の矢を放つ!
 ヒュウゥゥゥ――――――――
 矢が空を昇っていく。光は長い、長い尾を引いて夜空を切り裂き、やがて無音の空に溶けた。その様子を、地上を駆ける流星が生まれてから消えていくのを、四人はじっと見上げていた。光が消えてからも、ずっと。
 時が止まったように月を見上げるほむら達の間を、風が吹き抜けた。流星の余韻を覚ますような涼やかな風だ。
「――――まどか」
 吹き抜けていく初夏の風、それがなんだか懐かしい声に似ているような気がした。