猫ロケット

夜空の星はねこの輝き。アニメ感想とか書きます。

「まどか☆マギカ」のパロディAVのタイトルが気に入らない

 人気アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」が早くも実写化のようです。

TMAから『まどか☆マギカ』のコスプレAV『コスプレ少女 まじかる☆マジック』が7月8日発売! - かくれオタのブログ

 でも『コスプレ少女 まじかる☆マジック』って、これじゃ「魔法少女まどか☆マギカ」のパロディであることが分からないじゃないですか!


 TMA制作のコスプレAVシリーズ、過去作品は下記のように、一目で元ネタが分かるものばかりでした。

  • 涼宮ハヒルの憂鬱
  • ひぐらしがなく頃に
  • きら☆すた
  • 軽音部!
  • ロゼーン・メイデン
  • コスプレ例大祭*1
  • コードエロス 淫虐のコスプレイヤー

トータル・メディア・エージェンシー - Wikipedia



 な・の・に! ここへきて『コスプレ少女 まじかる☆マジック』ってなんですか!?
 魔法少女 / まどか / マギカ の面影が全くないじゃないですか!


 もちろん、元ネタのタイトル「魔法少女まどか☆マギカ」は、かなりパロディが作りにくい構成です。ひとつには「憂鬱」や「軽音」のような一般的な単語が含まれてないことがあります。また名詞だけで構成されていることなどから、もじったタイトルを作っても、それがもじりであることが伝わりにくくなってしまいます*2

 過去の例を見る限り、単語の置き換えができない場合には固有名詞の字順を入れ替える(「涼宮ハヒル」「ロゼーン・メイデン」)パターンが多いようなのですが、「まどか☆マギカ」は韻を踏んでいるため、ただ単に入れ替えただけでは元ネタの語感を損なってしまいます。「かまど☆マギカ」や「どまか☆マギカ」では、AVっぽくないですしね。


 となるとやっぱり、"まどか"と"マギカ"を別の単語に置き換える線が妥当に思えるのですが、これは単語の選定が非常に厳しいです。ここまで批判している私も、実は代案が思いつきません。
 漠然とした想像で言えば、"カ"で終わる3文字(くらい)の性的な単語をうまく「マギカ」と置き換えられればいいんですが。
 で、「まどか」はクリティカルな固有名詞なんで当然パロディのタイトルには使えません。これも当然変える必要があります。全然いい単語が思いつかないんですが、出演する女優が「つぼみ」氏らしいんで「つぼみ☆○○○」という形でしょうか。うーん。


 気に入らないけど代わりが思いつかない。何とも息苦しい展開です。
 うーん。

*1:例外的に「コスプレ例大祭」(元ネタは東方Project)は、作品名のもじりではなく東方オンリーイベントの名称から取られているわけですが、これも元ネタと絡んだ名詞で、充分に元ネタの推測が可能です。

*2:たとえば「俺妹」なら"〜わけがない"にしておけばだいたい通じる、みたいな

「魔法少女まどか☆マギカ」12話「わたしの、最高のともだち」

 「まどか☆マギカ」の世界を貫くのは徹底した因果応報だ。何かを得るにはそれと同じだけの代償を支払わなくてはならない。魔法少女は叶えた願いの分だけ、必ず、それと等価の絶望を抱え込む。その絶望に耐え切れなくなったとき魔法少女は魔女となり、希望によって生まれたはずの魔法少女は、今度は呪いを撒き散らす存在へと成り果てる。

 作中で杏子が言ってたように、希望と絶望の差し引きはゼロなのだ。

 まどかの願いは、全ての魔女を生まれる前に消し去ること。魔法少女が力尽きるとき、まどかはその傍らに立って絶望を引き受ける。魔法少女たちが、希望を信じて死んでいけるように。魔女にならずにすむように。

 そうして魔女は消えた。魔女が消えたことすら誰にも分からないほど完全に消え去った。魔女が消えたなら「魔女を消す」という概念は誰にも認識できなくなる。まどかの存在を認識できる者はどこにもいなくなる。当の魔法少女たちですら。


 そうして新しい世界が始まった。魔女の生まれない、新しい世界。ひとり少なくなった世界。


 ところで、まどかの願った世界も結局のところ希望と絶望の差し引きはゼロなままだ。魔法少女たちはこれまでと変わらず、叶えた願いのぶんだけ戦い、傷つき、そして死ぬ。魔法少女の置かれた状況は、根本的な部分では何も変わっていない。絶望を引き受ける人間が変わっただけで、この世界でもやっぱり希望と絶望の差し引きはゼロのままだじゃないのか?

 もちろん違う。

 ほむらがまどかの事を覚えている。まどかのリボンを付けている。その奇跡のぶんだけ、希望の総量は増えている。
 差し引きはゼロじゃない。ほんの少しだが、新しい世界には希望のほうが多いのだ。

 まどかがほむらに「がんばって」と語りかける場面は、この世界に奇跡と、そして信じるに足る希望があるのだと感じさせてくれるラストだった。

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 巴マミについて。
 マミさんがまどかに「ノートを返す」場面は感慨深い。ノートはまどかにとっての「魔法少女」像だったわけで、それが彼女のもとに戻ってくるというのは、まどかが魔法少女として自身の願いと共に歩む決意を固めたということだ。
 
 マミがまどか(とさやか)に与えた影響は大きい。困っている人を助け、誰かの役に立つこと。そんなマミの信念を、まどかは受け継いでいる。あるいは、まどかの抱いていた魔法少女像に近い物を体現していたのが、マミだったと言えるかもしれない。

 ノートを渡す相手が居る。後輩が居る。彼女の背中を見てくれていた人がいる。
 彼女の戦いは無駄じゃなかった。マミさんの孤独は癒されたんじゃないかって思うのだ。

 まどかが魔法少女になったらお祝いしよう、という約束も果たしたことだしね。



 佐倉杏子について。
 杏子にとって美樹さやかは「そうなるかもしれなかった自分」なんじゃないかって気がする。他人のために奇跡を願い、その結果が思惑を外れて自分自身を苦しめてしまうところは、二人が共通して味わった挫折だ。
 杏子はその挫折を「自業自得」として受け入れ、以後は自分自身のためだけに魔法を使うという形で挫折から立ち直ったんだけど、さやかはそうじゃなかった。挫折を挫折のままに無理やり乗り越えようとして、そして心が砕けてしまった。

 これは完全のぼくの想像なんだけど、二人の行く末を分けたものは、単純に時間だったんじゃないかって思う。
 杏子には挫折と向き合う時間があった。さやかにはなかった。ただそれだけのことで、だから立場や条件が違えば、杏子はさやかになっていたかもしれないし、さやかは杏子になっていたのかもしれない。

 「さやか」という鏡を通していたぶん、杏子だけが魔女の孤独を自分のものとして見つめることができていた。だからこそ9話で見せた「あたしがいっしょにいてやる」という祈りと献身につながるのだろう。

 杏子はきっと、全ての魔法少女を魔女になる前に救いたいというまどかの決意を素直に応援していて、彼女がまどかに送るまっすぐな激励は本当に杏子らしいと思った。



 美樹さやかについて。
 まどかは全ての魔法少女の絶望を引き受けた。絶望を引き受けるということは、その絶望と対になる希望を全て肯定するということでもある。もちろん、さやかの願いも。
 たとえ思うような結果にならなかったとしても、奇跡を願う行為自体は尊い。それがまどかの信念だ。
 さやかの選択はひょっとしたら間違ってたかもしれないんだけど、それでもさやかの意思を尊重して、さやかの選んだ世界を見届けさせた。そこがこの世界の優しさであり厳しさでもあるんじゃないだろうか。

 きっとさやかは、もう少しゆっくりと気持ちを整理する時間があれば、自分一人でもこの結論に辿りつくことができたんじゃないかな。マミさんの背中を見て、まどかに支えられ、杏子とも和解して。
 恋は実らなかったにせよ、自分の願った奇跡の尊さを抱きしめて、きっといい魔法少女になれたと思うのだ。



 暁美ほむらについて。
 まどかの願った世界も、結局のところ希望と絶望の差し引きはゼロなままだ。
 世界のルールは、根本的な部分では何も変わっていない。

 だけど鹿目まどかはべつに世界を救おうとしてたわけじゃなくて、ほむら、さやか、マミ、杏子、そして過去の魔法少女たち、そういった身近な人々の絶望を何とかしたいと真摯に考えていただけだ。世界が完全かどうかなんてことは問題じゃない。
 交わした約束を、信じていられるかどうか。これは、ただそれだけのごくささやかなお話なのだ。

 ほむらが守ったまどかに守られ、いまほむらは彼女が願った場所に立っている。希望の証を身につけて。

100万回生きたほむら

 あるとき、ほむらは まどかの ねこでした。まどかは せんそうが じょうずで、いつも せんそうを していました。そして、ほむらに まいばんティロ・フィナーレしていました。ある日、ほむらは とんできた やに あたって、しんでしまいました。

 あるとき、ほむらは さやかの ねこでした。さやかは、世界じゅうの 海と、世界じゅうのみなとに ほむらを つれていきました。ある日、ほむらは船から おちてしまいました。ほむらは およげなかったのです。ほむらは いたみなんかかんじなくなって、しんでいました。

 あるとき、ほむらは マミさんの ねこでした。手品つかいの マミさんは ある日、まちがえて ほんとうに ほむらをまっぷたつに してしまいました。マミさんは くびがちぎれた ほむらを 両手に ぶらさげて、大きな声で なきました。

 あるとき、ほむらは ひとりぼっちの きょうこの ねこでした。きょうこは 毎日 ほむらをだいて、小さなまどから 外を 見ていました。やがて ほむらは 年をとって しにました。きょうこは、にわの 木の下に ほむらを うめました。


 ほむらは しぬのなんか へいきだったのです。


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 ついったまとめ。オチがなかった。

映画「ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?」みたよ!

 11月14日*1プリキュアの映画を見た。日曜の午後の映画館、大きなお友達の姿はなく、周囲はひたすら親子連ればかりだ。入場者特典として「ミラクルフラワーライト」(プリキュアがピンチに陥ったとき、これを振って応援する!)が配られていたが、私には配ってもらえなかった。残念な気持ちになった。

 映画のタイトルは「ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?」である。タイトルを解析していくと、まず『ハートキャッチプリキュア!』は「ハートキャッチプリキュア!」を主題としていることを示しているので、えりかはつぼみのつぼみを優しくキャッチする。OPの歌詞に「それぞれの胸 ふくらむつぼみは」というフレーズがあることに留意されたい。あるいは、やぶうち優の性教育漫画「ないしょのつぼみ」を想起してもよい。


 さて、映画の舞台はパリだ。ファッション部のつぼみ、えりか、いつきはパリに滞在することとなった。期間は不明、そもそも学校はどうしているのかといった疑問が湧くのだが、作中では特に言及されない。まあ重要なのはプリキュアがパリに滞在することなので、その過程はどうでもいいのかもしれない。私も正直どうでもいい。

 えりかの両親は有名なファッションデザイナーで、両親が主催するファッションショーの準備のため、フランスの知り合いにアパートを借りていた。その際に娘の友人も誘うことにして、ついでにその子たちにモデルもやってもらうことにした。

 モデル選定ってそんな適当でいいのか。コネか。世界的デザイナーともなるとまずはコネで実績を作って、実力はあとから付ければいいとかそういう発想なのか。こえーなセレブは。確かにつぼみは世界でも五指に入るかわいさだが、だからといってモデルの適性があるとはちょっと言いがたい。つぼみが上がるべき舞台はえりかの寝室ではないのか。


 ともあれ、そういう流れなのでファッション部とは関係ないゆりもパリに来ていた。彼女はプリキュア4人のなかで一人だけ高校生だし、しかもあんまり友達いなさそうなのだが、一応えりかの姉ももかと親友という設定なので辻褄は合っている。


 ところでゆりはかわいい。ゆりは自分の不注意からプリキュアとしての力を失ったことをずっと後悔していた。何度も何度も自分を責めた。だからこそ、後輩のつぼみたちにはそんな絶望を味わって欲しくないと願い、正しい方向へ導こうとする優しい心の持ち主である。しかし、同時に、力を持つことの意義に無自覚な彼女たちへ苛立ちも抱いていた。嫉妬かもしれない。あるいは、昔の自分を見ているような苦々しさだったのかもしれない。

 でも、そんな自分の気持ちに向きあうことは大変なことだ。できればやりたくない。そこで彼女がどう対処したのかというと、ほんとは大してクールでもないのに一匹狼ぶりつつ、周囲と距離を置いていたのだった。

 でもプリキュアの力を取り戻した最近の彼女は、だんだん本来の熱い性格を見せ始めている。実は説教臭いのは元からだった。


 さて、パリだ。

 秋晴れの抜けるような青空の下、つぼみ、えりか、いつきの三人が広場を散策している。
 どこへ向かうでもなく歩いているうち、いつきのポケットから何かが落ちた。一番後ろを歩いていたつぼみがそれに気付き、拾い上げる。
「いつき、落し物ですよ」
 つぼみが拾ったものは、手のひらに収まるほどの小さな平べったい袋だった。袋の縁はギザギザになっていて。手でちぎって簡単に中身を取り出せるようになっている。日に透かしてみると、中にはゴムでできた輪っかのような、柔らかいものが入っているようだった。
「ありがとう――っ!?」
 いつきはお礼を言いかけて、はっと息を呑んだ。
 つぼみが手のひらに無造作に乗せているそれは、明らかに彼女には似つかわしくない物体だ。
「なんですか、これ?」
「ええっと、それはね……」
 人差し指で首筋をかきながら、彼女にしては珍しくきまりの悪そうな顔をして、助けを求めるようにちらっとえりかを見やる。えりかもまたつぼみが無造作に手に取っているものの正体に気づいて、顔を真っ赤にしていた。
「えりか、大丈夫ですか? 熱でもあるんじゃないですか?」
「ななななんでもない! 平気、へーきだから!」
「ええっと、その、つぼみ。夕食のあと、僕の部屋に集まろう。そのときに説明するよ。とにかく、拾ってくれてありがとう」
 怪訝そうな顔をするつぼみだが、ここは花の都パリ。彼女の興味を引くものはあらゆる所に転がっていた。彼女はすぐに次の目標を見つけ、歩き出す。
 いつきとえりかはほっと胸をなで下ろした。
「てゆーかいつき、そういうの持ってたんだ……」
「あははは……」


 もちろんファッションショーもやる。えりかはファッションショーの服作りで大忙しだ。


 えりかはファッションが好きだ。両親がデザイナー、姉がモデルという環境に育ったからという理由もあるけど、それだけじゃない。
 服が変わるだけで違う自分になれた気がする――単純なようだけど、新しい服を着たときのそんな感覚を、彼女は心底から愛しているのだ。なりたい自分を思い描き、新しい自分を作りだすこと。

 ファッションには人を変える力がある。

 アパートの一室、えりかは一心不乱にミシンを走らせていた。その間、ずっと何事かをつぶやきつづけている。そんなえりかを遠巻きに眺めているのがゆりだった。
「あなた、服を作るときはいつもそんな風なの?」
「知ってるゆりさん? 生地に『ありがとう』って言いながら縫うといい服が出来上がるんだよ。パパとママに教わったんだー」
「……科学的な根拠がないわ」
「もー、ゆりさんにはロマンがないんだから。本当は違ってても、もしかしたらそうかもしれないって思ってるほうが楽しいじゃない」
「……そうね」
 なんにせよ夢中になれるものがあるのはいいことだ、とゆりは思った。


 決して長くはない上映時間で、こういった短い場面が淡々と描写されていく。全体として見るとまとまった繋がりは薄いのだけれど、遠い異国の地で滞在するなか、4人がお互いの知らなかった部分を見つける、という筋立てになっている。学校を中心とした普段のコミュニティではなかなか描きにくい、微妙な心理描写が多めなのが特徴的だ。
 ちょっと変な言い回しだけど、非日常な日々での日常系というか。

 これは海外「旅行」だとうまくいかない。慌ただしいスケジュールで観光名所を巡るなんていうんじゃ、お互いゆっくり話す時間もないしね。非日常でありながらもある程度時間に余裕があるからこそ、こういった何気ない、穏やかながらも濃密な交流を描くことが可能になっている。バスで観光地を回るパックツアーみたいな映画にならなくて本当によかった。


 まあ、冒頭に挙げたいつきのエピソードや、ゆりが泥棒を撃退する場面、つぼみが食中毒で入院するくだりなどを「穏やか」の範疇にいれてもいいのか、というのはあるけど。


 で、このままだと普通の意味でのオチがつかないので、悪いやつが出てきた。実は悪くないやつなんだけど引っ込みがつかなくなって世界滅ぼそうとしているので超めいわく。最後にプリキュア元気玉を食らって改心した。世界は滅びなかったよ。*2

*1:ちなみにこの日は私の誕生日だった。

*2:今さら言うのもなんだが、このエントリは事実をほとんど含んでいない。

「ストライクウィッチーズ2」8話「翼をください」

 芳佳の急激な不調と葛藤はやや取って付けたような感じもありましたが、やっぱり絶望の淵で起死回生の力を得るという流れはいいもんですな。王道的な燃えパターンではあります。

 ということで8話は皆で宮藤を心配する回でしたね。特におはようからおやすみまで芳佳の暮らしを見つめるリーネちゃんが見どころ。不調の芳佳と海辺で佇むシーンは、もちろんかつて(1期3話)リーネがスランプに苦しんでいたときの再現なわけですが、このときに「がんばれ」とも「大丈夫」とも言わないリーネちゃんはえらいなあと思いました。
 こういうスランプを抜けるには努力だけじゃだめで、きっと本人にはどうしようもないような「偶然」のきっかけを待つしかないんですよね。でも当人にはいつ訪れるとも知れない機会を待つ余裕なんてあるはずもなく、だからこそリーネちゃんはあれこれ言わずに静かに寄り添うことにしたのです。かつて芳佳に救われた者として。
 もちろん僕の想像ですが。

 で、芳佳はもっとペリーヌの優しさに気づくべきです。その点坂本さんはえらい。気づいてるだけじゃなくちゃんと口に出して言ってるので超えらい。
 手を抜かれて怒るってことはそれなりに対等な相手として認めてるってことで、ほんと芳佳とペリーヌは1期のころからは考えられないくらい関係が良くなったよね。

 ペリーヌのこと書いたのであとはざっと。

 漠然とした印象として、このアニメははわりと台詞での説明が多いと感じていたんだけど、8話は表情での演技がアクセントになってたように思います。
 前述のリーネなんかは「多くを語らなくても通じ合ってる」空気出しまくりで、本妻の貫禄充分でしたし、自分の命令を反故にされたはずなのに嬉しそうなバルクホルンなんか、どや顔の教科書に載ってもいいレベル。そんなに芳佳のことが誇らしいかお姉ちゃん。誇らしいんだろうな。

 また、宮藤の戦果を評して「ひよっこ卒業」と語るミーナに対する、坂本さんの暗い表情なんかも印象に残りましたね。全くの素人から育て上げた後輩が自分の手を離れることへの寂しさもあるでしょうし、そして何より「宮藤を一人前に育て上げる」ことは、坂本が飛び続ける理由ともなっていました。それが達成された今、彼女は自らの進退をもう一度考えるべき時なのでしょう。

 そして表情といえば落ち込む芳佳を励ますエイラの笑顔どうなってんのかわいすぎる。大切なことなので何度でも言うけどかわいすぎる。かわいすぎるだろ常識的に考えて!サーニャ以外の相手にこんな素直に笑ってるの見たことないよ!エイラマジ天使!EMT!EMT!

 501の人たちはみんな芳佳のこと好きすぎると思いました。

「ストライクウィッチーズ2」7話「モゾモゾするの」

とても残念なことですが、稀代の名作「ストライクウィッチーズ」には致命的な欠点がありました。それゆえに僕は赤いマジックで大きな花丸をぐるぐると書き殴って100点を付けたい衝動をぐっとこらえて、あえて99点という厳しい評価を下さざるを得ない状況にあったわけです。けれど、そんな日々もようやく終わりを迎えました。


そう、ついにミーナさんのお風呂シーンです!!!!!!!!!!11!


今こそ「ストライクウィッチーズ」が完璧な作品へと進化した瞬間! 施設班のおっさん連中グッジョブ! 施設班の技術者たちもきっと「お、オレの作った風呂でヴィルケ中佐が……」とか妄想して大興奮に違いないですよ! お風呂の残り湯がオークションで高額落札されてるに違いないですよ! 落札した乳白色の液体をゴクゴク飲むべきザブザブ被るべきか、すごく悩んでいることでしょう!


いやほんと、あの世界のウィッチは僕たちの世界で言うところの「アイドル」に、もっと言葉通りの意味で近い存在なんじゃないですかね。異形に立ち向かう唯一の存在として、単なる敬意を越えて信仰にも似た感情を集めているような気もします。海軍の船乗りが大真面目な顔でフィギュアをプレゼントするくらいですし。たぶん赤城の元船員はほぼ全員宮藤ファン。きっと写真とか隠し持ってるに違いありません。船員たちは写真を枕元に置いて長い船旅の疲れを慰めるのです。深い眠りについたころ、夢に出てくる宮藤軍曹はなぜかとても積極的で……

もちろんその頃本物はリーネちゃんのおっぱいを掴んで寝てるわけですが。


閑話休題。


バルクホルンがシャーリーのことをシャーリーと呼びましたね。いますぐハネムーンフライトすべきだと思いました。

エイラがサーニャに怒られましたね。Yes/No枕がNoの日に飛び込んだせいですね。いつもYesの日に尻込みしてるのにこんなときだけ本気だすエイラは間が悪いと思いました。

あとペリーヌはだいぶ部隊の皆と馴染んできましたよね。1期の最初ころはギスギスしてる風でしたが、だんだん「遠慮なくやっても大丈夫な子」という扱いに変わってきてますね。祖国も取り戻したことだし、ペリーヌには仲間や友達がたくさんできて幸せになってほしいです。


ほかにあったっけ。あ、なんかネウロイ出ましたね。まあネウロイとかどうでもいいんですが、樹液や花の蜜に引き寄せられるネウロイがズボンの中を目指したというのは非常に示唆的だと思いました。まる。

「ストライクウィッチーズ2」6話「空より高く」

劇場版ストライクウィッチーズ、な第6話。

なんといっても印象的なのは、無音の成層圏でサーニャが故郷に向かって手を伸ばすシーン。「このままあの山の向こうまで飛んでいこうか」に対する「サーニャと一緒ならどこまでも飛んでいける」のやり取りは、エイラのサーニャに対する気持ちが溢れ出してた。

このまま飛んでいこうかというサーニャの言葉はもちろん冗談にすぎないんだけれど、だからこそ、それが不可能と分かった上でのかすかな本気が混じっている。だから、それをエイラが全力で肯定してくれたおかげでサーニャはずいぶん救われたんじゃないかな。

この場面のエイラのすごいところはサーニャの発した言葉に対して「直接」返事をしていることなんだと思った。サーニャの言葉は、文面通りに捉えれば「はい/いいえ」を問う疑問文であって、エイラはそれに真正面から答えてる。サーニャを慰めたりしなかった。サーニャの哀しみを全面的に受け入れた。

そのおかげで、サーニャの発した言葉はその場で消え去るだけにならなかった。心にわだかまりを残さずに済んだことで、最後の場面、サーニャは素直に帰還することができたんじゃないかなあ。振り返らずに、帰るべき場所へ。


山の向こう、いつか二人で行けるといいよね。



というわけで6話の感想を一言でまとめると「エイラと一緒にサウナに入ってた子超かわいい」でした。そういやペリーヌの中の人が「コンタクトにしたほうが絶対かわいい」って言ってたけど、それにしたってただでさえかわいいペリーヌがこれ以上かわいくなったらどうなっちゃうの…

(余談)ところで、ストライクウィッチーズ2の舞台は1945年。初めて有人宇宙飛行に成功したボストーク1号が1961年、初めて月に到達したアポロ11号が1969年だから、1945年に高度33333mの成層圏に到達したエイラとサーニャはかなりすごい気がする。エイラーニャは歴史に残るんじゃないか。