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猫ロケット

夜空の星はねこの輝き。アニメ感想とか書きます。

まどほむ百合漫才アニメ「叛逆の物語」観た

 ネタバレとかあります。

 

 というわけで「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」はただの百合アニメでした。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!いいぞもっとやれ!

 まどかがほむらを含む「みんな」だったのに対し、ほむらは一貫して「まどか」なので、そりゃこうするしかなよなあという印象。

 

 もっとも円環の理だってまどかちゃんの我侭なのだし、ほむらちゃんが彼女の傲慢を貫くのはまどほむ百合漫才アニメとして筋の通った展開なんじゃないかと思います。まどかの欲望が魔法少女を絶望で終わらせないことなら、ほむらの欲望はまどか自身に逆らってでもまどかを取り戻すこと。このまま円環の理→叛逆→叛逆返し→叛逆返し返し……と無限にオセロゲームを繰り返してゆくのもありでしょう。希望の死と絶望の生。美しい死と汚い生。

 どちらが良い悪いという話でもなくて、この作品は元から善悪や倫理観はわりと横に置いといて、純粋で強い想いを力に変えるというおはなしだったように思います。まどかのやったことだって善行というわけでもないですしね。

 

 ほむらが自身のことを悪魔と呼んだ件、まどかが契約する際に「神になるつもりか」と問われ「神様でも何でもいい」と答えたことが思い出されます。まどか自身は神になろうとしたわけでないけれど、結果的にキュゥべえやほむらは彼女のことを神と呼んでいる。神に叛逆するから悪魔なのだと。この辺の微妙なニュアンスの行き違いはちょっと面白いので話を膨らませてみたい気はします。

 

 ともあれ、ほむらちゃんは百合者としてかなり腕を上げた感がありますね。これでようやくまどかとほむらが同じ土俵に立ったので、ここから(なるべくベッドで)がっぷり四つに組んでほしいところです。

 

 あと雑多に。

 

  • やったー魔法戦隊マジレンジャーできたよー!
    マジレンジャーが赤黄青桃というのも考え合わせるとちょっと面白いかも。
  • むしろ同日に映画公開のドキドキ!プリキュアと言うべきか。叛逆もラブリンクする話だしね(ほむらの愛がまどかをこの世界に繋ぎ止める的な意味で)
  • そしてやっぱりマミさんがリーダー!
    マミさんの胸部が中学生の理に叛逆してるのはほむらちゃんの印象も加味されているのでしょうか。
  • ほむらちゃん、TVシリーズでもそうだったけど基本的にマミさんより杏子のこと信用してるんだな……強がってるけど繊細で扱いにくいという認識なのか。戦闘での相性も悪いし、一度ならず縛られてもいるし。
  • さやかちゃん妙にかっこいい!
    基本的に自分の問題には弱いけど他人の問題には強いんで、なにげに正義の味方向きかもなあ。さくっと告ってあっさり振られてゾンビだけどまあいいかって感じになればマミさんよりうまくやれた可能性もあると思う。
  • なぎさちゃんかわいい!
    が、基本的にはなぎさちゃん抜きでも成立しなくはない話(ただしほむらとマミの戦闘のきっかけにはなっている)だったので、彼女の存在はファンサービスというかミスリーディングというか。
  • 杏子ちゃんなんでりんごたくさん持ち歩いてるの……
  • 杏さや公式化。何もいうまい。と、舌の根も乾かないうちに何ですが、あれは俗に言う恋人繋ぎですのでよろしくお願い致します。
  • なにげにまどか☆マギカの舞台が西暦2050年以前という事が判明し考察的に意義がありそうです。せやろか。

いいじゃん、さやかちゃん助けようぜ

「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい」

 

希望から生まれた魔法少女が、絶望を撒き散らす魔女になる定め。

 

長い歴史上の過去で、果てない未来で、数多の並行世界で、多くの魔法少女がその運命に呑み込まれていった。その犠牲者の中にはまどかの親友のさやかもいた。絶望に沈んださやかは魔女を生み出し、滅びるのだ。

 

まどかはそんな理不尽な運命を乗り越えるために願う。「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい」

 

しかし魔女を消し去ったところで、魔法少女が死ななくなるわけではない。魔女を生まなくなるだけだ。魔法少女が力尽きたという事実そのものを曲げることはできない。だから、さやかは魔女を生んでも生まなくても、もはやこの世界に留まることはできなかった。

 

そのさやかを救う手立てはただ一つ。何もかもなかったことにすることだ。けれどそれは、さやかが命を賭けてでも叶えたかった想いを否定してしまうこと。それはきっとさやかの望む世界ではない――まどかはそう語り、さやかの選択がどんな未来をもたらすのかをさやかに見届けさせ、消えゆくさやかを見守る。

 

まどかの言ってることはすごく筋が通ってる。彼女の論理は、マミの死を、さやかの痛みを、杏子の祈りを、ほむらの告白を目の当たりにして、魔法少女の運命について思考に思考を思考を重ねた結果がっちりと揺るぎない。でも、それってあまりにも公正すぎるし、潔癖な面もあるんじゃないだろうか。

 

いいじゃん、さやかちゃん助けようぜ、と思っちゃうんだよね。

 

望まない世界でも生きてるほうがいいよ、友達だから生きててほしい。まどかはそう言ってもよかったはずだし、それを実現する力だって持っていた。友達に、そこにいて欲しいと思うのは悪いことじゃないよ。

じゃあまどかはどうするべきだったのか。私は「魔女を全て消して、さやかちゃんを生き返らせて、マミさんには予備の頭を、杏子ちゃんにはおやつ一年分、ほむらちゃんには何か粗品をあげて、それで自分自身は何食わぬ顔で今まで通りの生活を送る」が正解だと思う。世界を変える力があるなら、筋なんか通さず都合のいい世界にしちゃえばいい。

筋を通すことは確かに価値あることだけれど、世界を変える力があるなら、もっと自分に都合のいい世界を願えばいいよ、まどか。

 

つまり円環の理さんは意識高すぎ! 泣いてるマミさんもいるんですよ!

 

ってことで、まどかの選択は必ずしも「正しい」解決ではないと思うんだよな。

 

そもそも円環の理で魔法少女が幸せになったかというと、そうとも言い切れない。魔法少女が戦いの運命にあることは変わらないし、いつか死ぬことにも変わりはない。死んだ後のことなど知らないという魔法少女だって少なくはないだろう。そして何よりほむら以外の魔法少女は改変前の世界を知らないのだから、円環の理の意義など想像のしようもない。まどかの願いは、「魔法少女」という総体に対するものであって、生きている一人ひとりの魔法少女にはほぼ何も関与していないのだ。これは彼女が最後まで「魔法少女」としての当事者ではなく観察者の立場を貫いたからなのだろうけど。

 

だから「円環の理」は、まどかの我侭とその我侭を了解するほむら、あくまで二人の約束事だ。まどかの願いは、言ってしまえばただの独善に過ぎない。

そしてやっぱりほむらの願いも独善だ。彼女の願いはまどかを救うことではなく「まどかを守る自分になること」だったのだから。

 

でも私は、ほむらの独善とまどかの独善が一度だけ交錯する瞬間と、その証が残るというところがとても好きだ。円環の理は契約によって成された奇跡だけれど、リボンは魔法ではない本物の奇跡だからだ。まどかのリボンを身に付けるほむらの姿は美しい。この世界には信じるに足る希望がある。そう信じさせてくれる。

 

まどか☆マギカは「間違う」物語なんだと思う。まどかの選択は必ずしも正解じゃない。そして他の誰もが同じように間違っている。間違いながら前に進んでいる。「正しすぎるその子の分まで、誰かが間違えてあげればいい」とはまどかの母が語った言葉だが、正しすぎるまどかの分を間違えてあげる役割は、次はほむらなのだろう。

 

というわけで以上、新編公開前の最後のまどマギ感想文でした。おいおいおい、ついにこの日が来たか……

ビビッドレッド・オペレーションの好きなところと納得いかないところ

 やや遅れての視聴ですが、2013年冬アニメ「ビビッドレッド・オペレーション」を観ました。このブログを見て分かる通り、私は同じ高村和宏監督の「ストライクウィッチーズ」の大ファンで、そのストライクウィッチーズと同じ系統の美少女+SF作品だということで期待を持って観始めました。結果は予想通りというか期待通りというか、かわいくてえろくてかっこよくて大変満足しております。

 ……が。

 なんというか、大好きな作品であることには違いないのですが、ストーリーの内容はちょっと納得いかないところも多くて、褒めちぎりたい気持ちと批判したい気持ちが両方あります。そこで、心の整理をつけるためにこうしてブログを書こうと思った次第。

好きなところ

  • キャラクターがかわいい

 いやもうこれに尽きます。変身シーンとか超かっこよかったです。

  • 水着回

 スク水に入るアニメは名作の法則。

  • 主人公の動機がシンプル

 終盤の展開、主人公の目的を世界を守ることではなく「れいを助ける」ことに、いい意味で矮小化してたのは熱いと思いました。

  • わかひま

 うわあああ!うわああああああ!!!

 

納得いかないところ

結末について

 この物語の真相は「平行世界を含めた全宇宙を監視する上位存在*1がいて、人類が示現エネルギーを扱えるほどに成熟しているかどうかテストしている」というものでした。れいの存在を目印にしてアローンを送り込み、それを撃退するだけの力があるか、そして元凶がれいだと分かっても彼女を処分せずにいるだけの思慮があるかどうかがテストの内容でした。ふざけんなって感じですね。

 

 たしかに、そのテストに合格した結果人類は認められ、れいの世界は元通りになりました。

 

 でも、これを友情が世界を救った物語だとしてもいいのか、やや不安が残る結末です。これでは世界を救ったというより、世界を救ってもいいという「許可を得た」に過ぎないわけで。

 

 たしかに友情が世界を救ったかもしれない。でも、危機を作り出した元凶は放置されている。人類は柵の中での自由を得たに過ぎない。人類の置かれた状況は最初と何も変わっていないじゃないかという気持ち悪さが残ってしまい、どうにもこの結末を手放しには肯定できなかったりします。

 この一方的に仕掛けられた「テスト」で、実際に犠牲者が出ています。にも関わらず「テスト」の妥当性そのものについて問う者が誰もいないっていうのは、ちょっと不気味だと思うんですよ。

 

多数の名無したち

 アローンの攻撃によって戦艦や戦闘機がぽこぽこ爆発炎上してるわけですが、それに乗っていた人たちのことは一切言及されません。そんなものはまるで存在しないかのような扱いです*2。加えて「矢」によるアローン強化が被害を拡大させていたことも最後まで触れられないままです。この点は工事現場の子供を助けたことでチャラにされてる感がありますが、それとこれとは話が別でしょう。

 

要望とか

 じゃあどうすれば納得できたかというと、アニメ制作者ではない私には満足な答えなんて出せないし、そもそも整合性が取れたからって面白くなるかどうかは別問題です。なので以下はただの妄言なのですが……

 

 たとえば、一色博士がれいの世界の再生に取り組むとか、示現エンジンの全エネルギーがれいの鍵に流れ込んで、示現エンジンは停止してしまうけどれいの世界は再生されているとか、何かしら「彼ら」の力を借りなくても人類は自分たちでやっていけるんだというのを感じさせて欲しかったなーと。

 

 平行世界周りの設定については、そもそも平行世界とかなくてもいいんじゃないの、という身も蓋もないことを思ったりしました。れいの行動原理としては「家族を救うために、意に沿わないながらも示現エンジンを壊す*3」というのが用意できればいいわけで、異世界周りの設定を削って彼女の背負う運命をもっと単純化しても良かったかなと。たとえば彼女の両親は7年前の事故で亡くなってて、彼女自身も示現エンジンを良く思っていないとか。

 ただ、れいが異世界の住人だという設定は「友情は世界を超える!」というスケールのデカさがあって気分的には盛り上がるんですよね。

 

 あと欲を言えばドッキングが「記憶を共有する」という設定を生かした展開が欲しかったですね。ドッキングの前提条件としてあかねと相手の間に信頼関係が必要なわけですが、これってつまりドッキングはゼロから友情を生み出す装置ではなくて、すでに完成された友情の、さらにその先へと進むシステムだっていうことなんですよね。そこにすごく可能性を感じました。

 普通の少女たちが長い年月をかけて積み重ねていく思い出を、歴史を、一瞬のなかに濃縮すること。それがドッキングシステムの真骨頂なのだと思います。友情の加速装置というか。

 だから、その新しい技術のもたらす新しい友情の形というのを見てみたかった気もします。けどまあ、これは終わったあとだから言える贅沢な文句ですね。

 

 

 

 長々と批判点ばかり書いてきましたが、実際のところ批判ポイントが5,000だとしたら好きポイントは軽く20,000は超えるので大好きな作品であることは変わりありません。ただ、やっぱり心の整理のためにこういうものを書いておきたかったのです。

 

 これを書いた今ではある程度気持ちの整理がついた(豚になる覚悟ができたとも言う)ので、安心してわかひまくださいマシーンに戻りたいと思います。わかひまください。やっぱですねー、ひまわりちゃんの方が若干想いの矢印が大きいと思うんですよ。んで、クラスでも人気者で面倒見もよく周囲からも慕われているわかばを見て、ひまわりは本当に自分でいいのだろうかと不安になったりしちゃって、本当はわかばに真意を問いただしたいんだけど今の関係が変化してしまうのが怖くて、双方とドッキングして二人の気持ちを分かっているあかねはそんな様子にやきもきしてしまうみたいなのください。あとなんやかんやで想いを確かめ合った二人が個人的にドッキングするやつも大歓迎ですからね。お願いしましたからね。

 

公式サイト
ビビッドレッド・オペレーション

 

*1:劇中で名前が出て来ないので、カラスさんの呼び方に従って「彼ら」としておきます

*2:直撃でない場合はパイロットが脱出しているなど、人が乗っていること自体はきっちり描写されているのに。

*3:世界を元に戻すとは言っているものの、れいの「世界」として描写されているのは彼女の両親らしき人物のみです。

「特命戦隊ゴーバスターズ」 面白かった

 なんという安直なタイトル。でも「特命戦隊ゴーバスターズ」面白かったです。最終回よかった。

 

 亜空間に残された人々も陣も消えてしまって二度と戻らない。事実だけを見れば失ったものは何も取り戻せなかったのだけれど、だからこそ残された人々は連帯し、意思を継ぐということでもある。寂しいけれど希望のあるお話だった。

 

 敵陣営のエンターも魅力的だった。実質的には影の主役と言ってもいいくらいだと思う。元々はメサイアが作ったアバター(亜空間に取り込んだ人々のデータをつなぎ合わせた擬似人格)だった彼が、ゴーバスターズとの戦いの中で人間のデータを収集していくうち、独自の個性を得ていく過程は楽しかった。むしろ主役サイドよりもエンター側に肩入れして視聴していた時もあって、「愛」のデータを収集してしまったがゆえにエスケイプに対して葛藤を抱くあたりの描写は印象に残っている。成長という観点では伸びしろが大きい分ゴーバスターズよりもよほど主人公してたよね。 

 もちろん子供向け番組なんでさほど露骨ではないんだけれど、ちゃんと見れば気づくようにしているあたりはさすがだと思った。エンターさん影の主役! 

 

 あとチームで戦うことを前提とした世界観なのも面白かった。敵の出現位置や出現時刻を知るにはオペレーターの観測が必要だし、主人公が操縦するロボットには開発者がいるし整備士もいる。ヴァグラスが本拠地に攻め込んできたとき、非戦闘員が集まって時間稼ぎする場面なんか熱かった。ヒーローにはそれを支える人たちがいるっていうの、子供はどう感じるんだろうね。*1

*1:同時期に放映してた「仮面ライダーフォーゼ」も、直接戦闘を行う仮面ライダーとその後方支援というチームだったので、僕が知らないだけでよくある構成なんだろうか

言葉の力――「スマイルプリキュア!」あかね初恋回のこと

 「スマイルプリキュア!」36話『熱血!? あかねの初恋人生!!』

 

 交換留学生の男の子ブライアンの世話をすることになったあかね。最初は戸惑っていたものの、彼といるのは楽しくて交流の日々はあっという間に過ぎていく。いつもの5人でお茶をしているときも、気付かぬ間にブライアンの話ばかり。そんなあかねを見たやよいは――「あかねちゃんさ――もしかしてブライアンの事好きなの?」

 

 やよいの「それは恋だよ!」っていう台詞、良くも悪くも言葉の持つ力を表していると思う。あかねの感情は彼女自身もうまく把握できておらず、それは恋かもしれないし恋ではないかもしれなかった。その微かで曖昧な感情をやよい達が「恋」だと決めてしまうことで、あかねは恋文を書いたりすることになる。

 これ、怖い話だよなあ。

 個人の問題を周囲の仲間が手助けして解決する、というのはスマプリの基本展開のひとつだけれど、今回に限れば元々なんでもなかったところを他の4人が問題を大きくしてしまっただけなんじゃないか。恋だの何だのと言い出さなければ、あかねは自然体でブライアンに接することができて、ごく普通に仲良くなって、見送りにも行けたんじゃないか。そんな気がしてしょうがない。

 

 結果的にはあかねは納得のいく行動をとることが出来たし、ブライアンにお別れをいうこともできた。「それは恋だよ!」という言葉はブライアンに対する気持ちを考えるいいきっかけになったのかもしれない。

 

 人の気持を代弁することは、それが良い方向に働くときもそうでないときも、とても大きな力を持つ行為だ。

 だから特にやよいやみゆきには、他人の内面を規程することの、その力を自覚してほしいんだ。それはマンガや絵本にも備わっている力だから。

ペリーヌ中尉はもう本当にすごい人なんです!

 ペリーヌ・クロステルマン。貴族の家に生まれた彼女は幼くしてウィッチの資質を見出され、家族の期待と貴族の誇りをその小さな体に詰め込み健やかに成長していました。ネウロイによって家族と、家と、国を奪われるまでは。

 

 そして彼女は、故国を取り戻す戦いに身を投じます。

 

 ペリーヌの魅力は、高潔な魂と未熟な精神が同居している危うさにあるんじゃないかと思っています。ノブレス・オブリージュを当然のものとして受け入れる彼女は、その血脈に誇りを抱き、魔女として華々しく戦い、私財を投げ打って故国の復興に尽くし、戦災で寄る辺を失った子供たちを引き取る優しさまで見せています。同年代の少女たちに比べればその立派さは立派すぎると言えるほどでしょう。

 家系に対する自負は言動の端々にあらわれいます。たとえばリーネにマリーゴールドのハーブティーが民間伝承だと指摘された際の「「お祖母様のお祖母様のそのまたお祖母様から伝わるものでしてよ!」という反論には血統への誇りが色濃く反映されています。

 

 その高貴さに対し、一方では年相応と呼ぶべき以上の未熟さもさらけ出しています。

 事情が事情とはいえ物語開始当初の彼女は主に社会性から見て散々です。使命感が空回りし、焦りから余裕を失い、いつもピリピリしていて、周囲とも打ち解けず、堅苦しい言葉を並べ立てる様子は、エイラいわく「ツンツンメガネ」。さらには坂本少佐への過剰な執着を見せつつ全く相手にされない始末。はっきり言ってひどいものです。

 

 ですが、そのアンバランスさは同時に伸びしろでもあります。私にとってペリーヌは、大人になった姿を想像するのが楽しみなキャラクターです。

 

 上記でも少し触れたように、彼女はウィッチとして戦った報酬の全てをガリア復興のために寄付しています。それはノブレス・オブリージュにしてもいささか度を越していて、周囲が不安を抱かくほどの入れ込み方です。ここにも彼女の合わせ持つ純粋さと極端さが現れています。

 とはいえ、それを笑う者はいません。アメリー・プランシャール、リネット・ビショップをはじめ、彼女は多くの理解者を得ました。彼女の味方はこれからも増えていくことでしょう。

 

 ストライクウィッチーズの活躍により祖国が解放されたのちは、その態度にも余裕が見えてきました。本来の穏やかさを取り戻した彼女がどのような淑女に成長していくのか、これからも目が離せません。

 再度繰り返しますが、ペリーヌは大人になった姿を想像するのが最も楽しみな人物です。

 

 

 

 さて、ペリーヌ名場面を挙げていきましょう!

 

  • 【ペリーヌ名場面】夢のなか、直った橋をお披露目するペリーヌ

 このあまりにも安直なヒーロー願望は幼さゆえの限界ではあるんだけど、だからこそ「子供たちを喜ばせたい」という純粋な願いが現れていてかわいいです。(2期9話)

 

  • 【ペリーヌ名場面】「綺麗な花には棘が…」

 思わず故郷を思い出し落ち込みそうになるペリーヌにエーリカが軽口を投げかけ、重くなりそうだった空気を和らげます。エーリカ名場面でもあります。(1期8話)

 

  • 【ペリーヌ名場面】サウナが苦手な謎の美少女。

 いったい誰なんだ… (2期6話)

 

  • 【ペリーヌ名場面】リーネにマリーゴールドティーが民間伝承だと指摘され激昂するペリーヌ

 「お祖母様のお祖母様のそのまたお祖母様から…」という言葉が家系への誇りを感じさせますね。あとブルーベリーが目にいいのも俗信らしいのでリーネちゃんはペリーヌをdisってる場合じゃない!(1期6話) 

 

  • 【ペリーヌ名場面】危険な作戦に緊張感が増す中「11人居れば絶対に勝てます!」と熱弁を振るう芳佳を見守るペリーヌさん

 ここの表情がやばい(2期11話)

 

  • 【ペリーヌ名場面】落ち込む静夏に優しく語りかけるペリーヌ

 劇場版のトレーラーにも使われたシーンなのはご存知の通り。宮藤を受け入れられない静夏に、自分もかつてはそうだったと語りかける優しい表情は、とても宮藤と決闘してた子には見えません。(劇場版)

 

 あとスーパー余談なんですが、ペリーヌはガリア解放の英雄でありアイドルであり美少女なので世間がほっとくはずがないんですよ! 中には悪い大人も混じってるかもしれないのでぜひ実務や交渉の方面で多少ダーティな事もできる参謀を味方につけてほしいところですね。もっさんにとってのミーナ的なポジションの人。

 さらに言えば、ペリーヌ自身が彼女の政治的な立場を利用するくらいのしたたかさも身に付けて欲しいところです。橋の修復費用を調達するのに家宝を売るなんてのは視野が狭いですよね。

 

 

 ともあれ、ペリーヌ誕生日おめ!

「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ」後編みた

 感想というか、普段からツイッターとかに書きまくってることをまとめただけというか。
 前編の感想はこちら

  • テレビ版を観た人間へのごほうびのような内容でした。劇場でコネクト流れたので感無量です。
    • あの場面でコネクトが流れるのは構成としてはちょっと違和感。だけど実際流れたら嬉しかったのでそういう意味で「ごほうび」的。
    • お話の解釈とかについては、基本的にTVシリーズ最終話を見た時の感想とほぼ同じです。でもブログには同じことを何度書いてもいいと思っているので、何度でも書きます。同じことを書くうちに新しい発見もあるかもしれないし、たとえ何も見つからなくたってまどマギについて書くのはすごく楽しいことなのです。私は何度だって繰り返す!
    • ちなみにフィルムはファストフード店で向き合うさやかと仁美。のロングショットでした。人物が映ってるだけ当たりか。あの店もシナリオ上いろいろ便利に使われたよなー。
  • しかし劇場版はいろいろ盛ってるせいで見滝原がえらい大都市に……狭い範囲で異様に開発が進んでる気がするが大丈夫かこの街。
    • あと個人的な思い込みで山の中の都市というイメージだったのだけど、なんか海っぽいものが描かれたような。あれ海だったんだろうか。もしかして群馬じゃないのか? いやこう、なんというか、まどマギの舞台が群馬だという説が僕のなかでは完全に定着していたのですごく驚いています。
  • 全体的にまどかが主人公であることが整理された印象だった。彼女が最終話での決断に至る過程がテレビシリーズよりも分かりやすくなってる。マミの死を、さやかの痛みを、杏子の祈りを、ほむらの願いを目の当たりにしたまどかが絶望に立ち向かう物語、「魔法少女まどか☆マギカ」。
    • そして彼女が不断の思考を重ねているのだというのも読み取りやすくなってた。
    • 思考、弛まぬ思考。それこそがまどかの武器だ。魔法少女について最も深く思考したのは、魔法少女ではない彼女である。もちろんそれは周囲に四人もの魔法少女がいたおかげではあるけれど。
    • 改めてお話を振り返ると、まどかが魔法少女について考え、その考えが否定されるというサイクルの繰り返しでもある。まどかは魔法少女の仕組みそのものを無くすことも考えていたかもしれないんだけど、キュゥべえが魔法少女史を語り聞かせることでそれも不可能だと知らされてしまったりだとか。
    • ほむらの突然の告白を戸惑いながらも受け入れるシーンも、思考を重ねた結果ほむらの話を受け入れるだけの下地ができているからなど思えば、また違った感想になるかもしれない。
  • あんこちゃんの新規絵増えてた! 特に大きな変更はオクタヴィア戦で流血があからさまに描かれたことかな。致命的な傷を負っているというのが明確になって、祈りを捧げる姿の悲壮さが強まっている。
    • さやかを救うことは、自分自身を取り戻すための戦いでもあった。二人は同じ挫折を味わっている。他人のために奇跡を願い、その奇跡が自分自身を苦しめてしまったこと。鏡写しのような二人の末路を分けたものは、きっとただの偶然だ。杏子は挫折に向き合う時間があり、さやかにはなかった。ただそれだけの事なんだって気がする。だからちょっと条件が違っていれば杏子はさやかになっていたかもしれないし、さやかは杏子になっていたかもしれない。
    • そうやって同じ間違いから始まっているという自覚があったからこそ、杏子は魔女の孤独を自分のものとして感じることができていた。あるいは魔女と魔法少女が同じものだということを感じ取ることができていた。「ずっと一緒にいてやる」という言葉は、魔法少女なら誰でも言えたというものではないだろう。
    • さやかはもう取り返しのつかない所まで行ってしまった。でも、それでも、取り返しのつかないものを取り返すことができたのなら。
  • 杏子がほむらに語った「たった一つ守りたいもの」。それが指すものは杏子とほむらでそれぞれ異なっているとも言えるし、同じものだったも言える。命を賭すに値する奇跡。それを祈る想い。あの瞬間二人には何か通じ合うをものがあったはずだ。
    • まどかはこの時気を失って倒れていたけれど、にも関わらずまどかの結論はこの点を正確に汲んでる。まどかが肯定したのは希望を抱くことそのものだから。
    • だから杏子は、まどかの決断を素直に応援してるんじゃないかって思うんだよな。「戦う理由を見つけたのなら、あとは行けるところまで行くだけ」というのは彼女らしい激励だ。
  • ほむらが見せるかすかな仕草や演技から、ほむらが杏子を嫌っているわけではなく一定の敬意を抱いているということが読み取れるのが素晴らしいよね。
  • さやかの貫こうした正義というやつは実際のところマミの受け売りだ。マミはマミなりの事情で正義の味方をやっていて、正義の味方になるほかなかったということを、さやかは十分に理解することができなかった。
    • 願いの代償として戦っているさやかとは違い、マミはただ生きるために魔法少女になっている。生きることと魔法少女であることが重なっているマミには理念が必要だった。*1
    • だから魔法少女が魔女になるというのは、マミの生そのものが否定されるような事実だったわけで。「みんな死ぬしかないじゃない」というのは彼女のメンタルが弱いからではなく、むしろ強いがゆえの反動なんじゃないかな。
    • とまれ、本来ならさやかにはさやかなりの魔法少女像を模索する時間が必要だった。もう少しマミさんと一緒に戦う時間があれば、きっといい魔法少女になれたはずだと思いたいよね。
  • マミさんがまどかにノートを返すシーン、劇中で一番好きな場面だ。まどかがかつて挫折した甘ったるい「魔法少女」をもう一度引き受けるということだものな。
    • このふわふわの魔法少女を思い描くきっかけも、諦めたきっかけも共に巴マミだった。
    • まどかが肯定するのは希望を抱くことそのものだった。どんな結末を迎えようとも、奇跡を祈る想いは尊い。その想いを傷つけるものは許せない。だから彼女は何度でも愚直に言い張るのだ。希望を抱くことは間違っていない、と。
    • それを語る相手がマミさんだというのがもう……!
    • 巴マミ鹿目まどかの師であったのだと実感できるやり取りだ。彼女の背中を見てくれていた後輩がいる。そして後輩はいま自分の道を行こうとしている。マミさんの戦いは無駄じゃなかった、彼女の孤独は癒されたんじゃないかって気がする。まどかが魔法少女になったらケーキでお祝いしようという約束も果たしたことだしね。
  • リボほむちゃんかわいい!
    • ツインテールじゃないんですか!!1
    • ほむらちゃんとキュゥべえが友好的なのは何もキュゥべえが「改心」したからではなく、単に環境が変わって利害関係が一致したからなんだよね。感情がない相手と共存するには環境条件を変えるしかないという話ではある。
    • 使用済みグリーフシードをスタイリッシュに放り投げるシーン、キュゥべえとの会話を打ち切りたいってことなのかな。だとしたらキレなくなった分ほむらちゃん落ち着いたよね。
    • まどかの願いは、全ての魔女を生まれる前に消し去ること。魔法少女が力尽きるとき、まどかはその傍らに立って魔女を生むはずだった分の呪いを肩代わりする。魔法少女たちが希望を信じて死んでいけるように。魔女にならずにすむように。
    • でも、まどかの願った世界でも根幹的な部分では世界は何も変わっていない。結局魔法少女は戦いの運命を避けることはできず、戦い、傷つき、やがて死ぬ。宇宙のエネルギーも足りないままだ。絶望を引き受ける人間が変わっただけで、結局この世界もまた希望と絶望の差し引きはゼロのままなんじゃないか?
    • もちろん違う。ほむらがまどかの事を覚えている。まどかのリボンを付けている。その奇跡のぶん、新しい世界にはほんのわずかだけ希望の総量が多いのだ。彼女はこの先、世の中の理不尽に直面して怒ることもあるだろうし、たとえまどかのことを覚えていたとしても寂しさに泣くこともあるだろう。それでも、リボンを身に着けている限りこの世界には確かな希望はある。信じるに足る希望がある。そう感じさせてくれるラストだった。

*1:劇場版ではマミさんが契約したときのエピソード省かれてるけど。